「早く技術を身につけて、従業員としての立ち位置を高くしたい」
物腰は穏やかながら力強い声でそう語ってくれたのは、大阪難波・千日前で人気の焼き鳥店『炭火焼とり えんや』スタッフの山本雄基さん。
高校卒業後、建築やリフォームなどの仕事を渡り歩いてきた山本さんは“ある夢”を追うために、未経験の状態で今年の2月から従業員として働いています。そんな山本さんに、これまでの歩みとこれからについてお伺いしました。
野球に打ち込んだ少年時代、高校卒業後は外国語を学ぶために大学へ
1987年に大阪府堺市で生まれた山本さん。兄弟の影響で小学校高学年から地元の野球チームに参加。以降、高校を卒業するまで野球に情熱を傾ける青春を過ごしたそう。
10代の頃の山本さんの夢は「野球をやっていたので、野球選手になりたかったというのが一番にありましたね。」とのこと。
「ただ高校で、選手としての自分自身のレベルを理解して、これ以上続けるのはちょっと難しいかなと感じたので、部活の引退のタイミングで野球はやめようと考えました。」
そんな山本さんは部活引退後に焼肉店でのアルバイトもスタート。卒業後の進路については、興味のあった英語を深く学ぶために外国語の学科のある大学を志望。推薦入試で早々に大学の合格通知を手にし進学を決めたのでした。
大学進学から一転、約半年で自主退学
大学へと進学した山本さんでしたが、入学早々“ある違和感”を抱くようになります。
「大学って、中学校や高校と違ってすごく自由がきくじゃないですか。学生生活を送っていると、ちょっと“遊んでる”感を自分の中で感じるようになって。講義にはちゃんと出席していましたし、単位も取れてはいたんですが“これだったら働いてる方がいいかな”って思って1年の前期で大学をやめちゃったんですよ。」
“自由なキャンパスライフ”に見切りをつけ、あえて早く社会に出ることを選んだ山本さん。自堕落な学生生活を送っていた筆者には、そんな山本さんの決断がかっこよく映ります。
インタビュー中に思わず「かっこいいですね」とつぶやいてしまった筆者に、山本さんは「働き始めると“やっぱり辞めて正解やったな”と思いましたね。」と一言。
「大学に通っていた友だちとも頻繁に連絡を取っていたんですけど、学生を続けていた友だちたちから遊んでるって話をよく聞いていたんで、自分はそういう環境にいるより働いている方がいいのかなと当時から思ってましたね。」
【炭火焼とり えんや 難波千日前店】のお仕事に応募する19歳で社会人に、建築関係の仕事でキャリアを積む
大学に進学したものの社会に出ることを決意。入学から約半年で自主退学を選んだ山本さん。同級生のお兄さんが営む建築関係の仕事を手伝うところから社会人としてのキャリアをスタートさせました。
「大学を辞めて働くといっても、正直いうとはっきり“こんな仕事がしたい”というイメージもなかったので、同級生のお兄さんから“良かったら手伝いに来てみたら?”と誘ってもらって、そのままそちらで仕事をさせてもらうことになりました。」
建物の防水工事を中心にした仕事に約4年間従事した山本さん。大学に通っていた友人たちが卒業し社会に出るタイミングで、山本さんも次のステップに歩みを進めます。
「それまで一緒に働かせてもらった同級生のお兄さんは、個人事業主としてお仕事をされていて。僕自身、社会人として経験を積む中で福利厚生や待遇の面を考えた時に、自分もそろそろ会社に所属した方がいいのかなと。」
こう考えた山本さんは、住宅のリフォーム会社へ就職。そこで5年間勤め上げることになります。
その後、山本さんはLED工事会社へ転職。そこでは営業から現場管理、施工前の調査や施工後の照度調整やライティングなどを担当するなど、順調にキャリアアップを重ねていたのでした。しかし…
30代を迎えて夢と向き合う日々、不意に出会った求人の張り紙
LED工事会社で務めるようになり30代を迎えた山本さん。いつしか漠然と“ある夢”を抱くようになります。
「部活を引退してから焼肉店でアルバイトをしていたことがあったんですけど、とにかく“飲食店は楽しい”というイメージがずっとあったんです。働き出すようになってからは外食するのが好きになって。30歳を過ぎたあたりから“焼き鳥屋を自分でやってみたい”と思うようになりました。」
漠然としていた夢は時間が立つほどに山本さんの胸の中でリアリティを増していきます。そんなある日、山本さんがプライベートで何気なく食事に訪れたのが『炭火焼とり えんや』の店舗でした。
素直に「このお店、美味しいな」と感じたという山本さんは“修行をするなら自分が心から美味しいと思える店で”と思うようになり、焼き鳥店の食べ歩きも始めるようになったのです。
そして2020年。山本さんは飲食業への転職に向けて準備を始めることに。しかし世界は未曾有のコロナ禍に突入してしまいます。
「緊急事態宣言が発令された影響もあって、求人がすごく少なかったんですよね。“今は転職する時期じゃないのかも…”と悩んでいた2020年12月に、食事をしようとまた『えんや』の店舗にお邪魔した時、お店に求人の張り紙があるのを見つけたんです。それを見て電話しました。」
ほどなくして山本さんはLED工事会社を退職。面接を経て2021年2月、『炭火焼とり えんや』を運営する有限会社エンヤフードサービスに入社したのです。
【炭火焼とり えんや 難波千日前店】のお仕事に応募する夢を叶えるため思い切って飲食業へ、ひたむきに自己研鑽の日々
焼肉店でのアルバイト経験はあるものの”本当に無知な状態”で飲食業界に飛び込んだ山本さん。面接では未経験であることや、いつかは独立して自分の店を出したいといった想いを包み隠さず語ったそう。
「面接の際には自分が飲食業未経験であることや、自分が美味しいと思える店で修行がしたかったということ、さらにいつか自分の店を出したいこともお話ししました。面接をしてくださった方は“この店舗から独立している人もいるので、そういう意欲のある方は大歓迎です”と応えてくださったのを覚えています。
あと入社してからもある先輩に言ってもらえたのは“別の業界から来た人の知見や経験は、長く飲食業界に務めている人間にとって刺激になる”と。完全に未経験の状態で来ている人はこだわりがない分、新しい知識や技術が覚えやすいとも声をかけてもらいました。」
緊急事態宣言が断続的に発令されている今年は、一時休業をはさみつつ時間を短縮して営業中の『炭火焼とり えんや』。
ワインの勉強をしつつ、すでに店舗では一部調理も任されている山本さんは「働きだして感じたのが、おいしいと言っていただくことがすごい嬉しかったんです」と笑顔で語ります。
転職から半年以上が経過した現在、山本さんが従業員として感じているこの会社の魅力を聞きました。
「僕はいまワインの勉強をさせてもらっていますが、他の方も資格を取得するための勉強をしていたり、メニューの試作をしていたりと各々がコロナ禍の中でも成長することを目指して頑張っています。この前も飲食店従業員のマナーに関する勉強会に参加させてもらいました。会社として従業員に常に学びの場を提供してくれるのは、とてもありがたいので、改めて入社して良かったなって感じています」
インタビューを終えて
筆者が山本さんにインタビューしたのは、店舗の営業再開を目前に控えた9月の某日。インタビューを終えて仕事に戻った山本さんが他の従業員の方と一緒に営業再開の準備に精を出す姿が印象的でした。
真面目に働く山本さんのひたむきな表情、そんな彼を先輩としてリードする従業員の皆さん。一丸となって仕事に取り組む皆さんの姿から、営業再開に向けた心地よい緊張感と従業員同士のチームワークの良さが十分に伝わって来ました。
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