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インタビュー

ビーチバレー選手として活動しながらクリエイターになる/片桐菜摘さん

会社員として働きつつ、ビーチバレーボールの選手としても活動されている片桐菜摘さん。

片桐さん曰く、就職活動をしていた当時は、学校を卒業してもビーチバレーを続ける人の多くはアルバイトをしながらビーチバレーを優先した生活をしていたそうです。

正社員として就職するならビーチバレーは辞めるのが一般的でしたが、片桐さんは、正社員とビーチバレーの両方を取る選択をしました。

同じような前例がない中で今の生活を実現したそうですが、多くの大会に出場しながら仕事と両立する生活とはどんなものなのでしょうか。

プロフィール
片桐菜摘(かたぎり なつみ)
1996年生まれ/日本女子体育大学卒業
2017年よりビーチバレーボール選手に。
2019年3月、マーケティングやブランディング総合支援を行う株式会社ニンニンドットコムに新卒入社し、動画制作や広告運用などを担当。

【ビーチバレーボールの主な戦歴】
・ジャパンビーチバレーボールツアー2019平塚大会 出場
・BEACH VOLLEY JAPAN LADIES2019 出場
・ジャパンビーチバレーボールツアー2021サテライト大成温調シリーズ各大会 出場 
・マイナビジャパンビーチバレーボールツアー2022(BVT1)第2戦 大洗大会 出場
・ジャパンビーチバレーボールツアー2022サテライト シリーズ各大会 出場
など

春高バレーに出場後、ラクロスを経験

まずはビーチバレーを始められたきっかけからお話しいただきました。

高校生までは6人制のバレーボールをやっていて、春高バレー(全日本バレーボール高等学校選手権大会)に2回出場したことでやり切った感覚があったんですね。小学校の時からバレーボールをやっていたんですが、母が送り迎えなどのサポートをしてくれていたんですよ。そんな母に春高出場をプレゼントしたいという小学生からの目標があって、それを達成したので一区切りついたというか。

それで大学では、いったんラクロス部に入りました。ラクロスって大体中高には部活がなくて、大学生から始める人が多いんですね。誰でも始められるというか、みんなと同じスタートラインで始められるのが魅力でした。ラクロスは大学2年生までやって、選抜に選ばれたりもしたんですが、大会に出てもそこまで熱くなれなかったんです。

ラクロスをやめようかと考えていた時に、大学の友人から「ビーチバレーの全国大会に出たいから一緒に戦って欲しい」という誘いがあって。それで3年生の時からビーチバレーを始めたんですが、もともとバレーをやっていたこともあってすぐに夢中になれたんです。

ラクロスは1チーム10人でやるスポーツですが、ビーチバレーは二人でやるんです。だから、ボールを触る回数が圧倒的に多いんです。ラクロスに比べて自分の実力が結果にダイレクトに反映されやすいところに魅力を感じました。

また、単純にやっぱりバレーボールが好きだなとも思いました。

ビーチバレーを続けられる会社を探す日々

ラクロスを始めたものの、あまり夢中にはなれなかった片桐さん。そこから縁あってビーチバレーの世界に入り、卒業後は就職した上でビーチバレーを続けるという決断をされました。

学生最後の年に、大学選手権というビーチバレーの全国大会で4位になったんです。3位までだとアスリートとして企業に採用してもらえるサービスを利用できると言われました。そうすると例えば週1回程度の勤務でよかったり、午前は練習して午後から出社するといった、働き方ができるんです。

でも4位だとそれはできません。そんな時にふと、ビーチバレーを続けながら正社員で働ける会社を自分で探せばいいんじゃん!と思いました。

ビーチバレーを続けられる会社はやはりなかなか見つかりませんでした。ですが、諦めずに探していたら就活イベントで今の会社『株式会社ニンニンドットコム』の社長に出会って、「うちはスポーツと仕事を両立した働き方ができるよ」と言ってもらえたんです。

それでここに入社しようと思いました。しかもその頃、同じ学年で総合格闘技をやっている人の内定がその会社で出ていることも知って。

進路が確定しないまま卒業目前に

総合格闘技をやっている方が入社後もスポーツを続ける前提で内定をもらっていたんですね。ようやくビーチバレーを続けられる会社と出会えたのですが…。

当時の私はスポーツばかりやっていて、PCを触ったこともなかったんですよね。それで社長に、まずタイピングをできるようになりなさいと言われました。3ヶ月くらいタイピングソフトで練習して、タッチタイピングを習得しました。

すると今度は「CMS(ノーコードでホームページを作成することができるシステム)でうちのホームページを作ってみて」と言われてやってみましたが、全く仕事になるようなレベルではなくて、「このままだとうちでは採用できない」と社長に言われてしまいました。採用しても使い道がないってことでした。その時点で4年生の11月だったんですよ。就活ゼミにも通ってたんですが、他の人はどんどん就職が決まるので焦りました。

せっかくビーチバレーを続けながら仕事ができる会社を見つけたのに、そのチャンスを掴むことができないのかと思っていた時に、たまたま自分で作ったTikTokの動画をニンニンドットコムの社長に見せてみたんですよ。音楽に合わせてシーンが切り替わる人物の動画なんですが、それを見せたら「動画作れるんじゃない?」と言われて。

その年の12月頃に、社長があるキャッシュレスアプリの会社の立ち上げメンバーに加わっていて、そこのYouTube動画を作る際にニンニンドットコムが動画を担当する話を持ってきてくれたんです。それで社長に「編集してみな」と言われて、これができなかったら、この会社にはもう入社できないと思ったので「やります」と答えました。

正直、動画編集をPCでなんてやったことがなかったので、仕事がはじまってからAdobeのソフトをPCにインストールして、勉強しながら、なんとか1本作り上げました。その動画をキャッシュレスアプリの会社の社長に見せたら、面白いと言ってもらえて。

そこからニンニンドットコムのメンバーとして、キャッシュレスアプリの会社の動画の撮影や企画に参加するようになりました。何本か動画を制作した後に、そのキャッシュレスアプリの会社からインターンとして業務を手伝ってほしいと声がかかり、ニンニンドットコムから出向する形で行ったりもしました。4年生の卒業間際、2月ごろのことでした。

インターンをすることは嬉しかったのですが、ニンニンドットコムの社長からは直接内定という話は、その時点でもいただいていなかったので、大学卒業後の進路が決まっていないという不安な時期でもありました。

今の会社に入るために退路を断った

卒業ギリギリまで現在の会社に入れるか分からないというのは辛いですね。不安な中で他の企業の面接も受けていたんでしょうか。

社長に「他の会社は考えられないから就活は辞めました」と宣言して、一年間で成長を見せるために頑張っていました。就職の経緯としては珍しい流れですが、ダメでもネタになるからいいかと思って楽しんでやっていましたね(笑)。

社長はキックボクシングをやっていて、プロとして大会に出場していて、仕事とスポーツを両立した働き方や自分の会社の経営をしながら複数の会社の役職についていたり、常識とは違った働き方をしていました。そんな人に憧れを持ったというのも志望動機の一つです。

それと、ニンニンドットコムの仕事は面白そうだったんです。企画やマーケティング、クリエイティブなどの仕事をしている会社で、当時私が就職活動をしていた中で、1番面白そうな会社だと思ったのもあり、どうしてもニンニンドットコムで仕事がしたいと思っていたので、他の企業の面接を受けるのを辞めました。

仕事とビーチバレーを両立する生活

ところで気になったのが、ビーチバレーって冬などはどうしてるんでしょうか?また、プロテストなどはあるのでしょうか。

よく、「冬もビキニを着て大会に出場するんですか?」と聞かれますが、冬は、ジャージなどの暖かい格好で大会に出たりしていますよ(笑)

ビーチバレーにはプロの定義やプロテストがないからこそハマったようなところがあります。プロアマの境界が曖昧で、有名な選手たちとも同じ大会で一緒に戦えるところも魅力ですね。

私の場合、大会には2週間に一回くらいのペースで出ています。中にはジャパンツアーなどの大きい大会だけに出る方や、各国で行われるワールドツアーに出場する方もいます。国内で1番大きな大会が、ジャパンツアーです。その次がサテライトという大会です。

私はジャパンツアーには2回しか出場していなくて、今のところサテライトを主戦場としているんです。基本的に土日は練習、平日は仕事のスケジュールを自分で調整して、その間に練習を差し込んでいくような生活です。

都内勤務なので、練習は都内にいくつかある人工ビーチでやったりしています。練習が終わるなり会社に行くので、あまりゆっくりする時間はないんですが、自分なりにスケジュールを調整できるスタイルが自分に合っていると思います。

仕事はPCさえあればできるので、ビーチバレーの遠征先に持って行って夜に作業したりすることもあります。仕事の世界は厳しいです。ビーチバレーをしているからといって、仕事の手を抜いていいわけではないし、何かが優遇されるわけでもありません。

なので、毎日ビーチバレーをすることはできませんが、私にはこれが合っていると思います。時期によっては、仕事を優先させたり、はたまたビーチバレーを優先させたりしながら、両立しています。

この春からディレクター職に就任

うまく調整しながら両立されているんですね。仕事についてはどのような業務をされているのかお聞きしました。

これまでは主に映像制作をやっていましたが、2ヶ月ほど前からクリエイティブディレクターになりました。人に動いてもらう方がメインになったんですが、自分にはディレクションは向いている気がします。

今も自分で制作することもあります。取引先のジャンルは幅広くて、教育関係やEC、美容系、金融まで多岐に渡っています。会社としてはEC運営やサイト制作など幅広くやっていますが、私は動画制作をメインにしつつ、時にはサイト制作もしているという感じです。

会社に貢献したい

仕事もビーチバレーも楽しんでいる片桐さんのこれからの目標をお話しいただきました。

私の目標は、仕事で活躍しながら、一番大きな大会であるジャパンツアーを主戦場として戦うことです。

ビーチバレーをいくつまでやるかは考えていないのですが、最高齢で45歳の方がジャパンツアーで戦っているんですよ。実はビーチバレーは若さや体力で勝てるスポーツではなくて、年齢が高い人の方が経験で勝てたりするんです。

ビーチバレーも仕事も、経験を積んでいくことで、昨日より今日、何かが進歩していたらいいなと思っています。いきなり飛躍したりすることはできないと思います。コツコツやり続けて、目標に達していきたいです。私の目指していることは前例があまりないですが、ロールモデルがいない中で実現したいという思いもあります。

以前、私の筋肉を見て「何かスポーツしてるんですか?」と聞かれて、そこからスポーツ事業の仕事につながったことがあるんです。私がビーチバレーをしていることによって、事業と事業が繋がったり、話のネタになったり、そういったカタチでも会社に貢献していけたらと思っています。

既存のやり方に囚われないで欲しい

最後に、卒業後もスポーツを続けていくか悩んでいる学生の方に向けてメッセージをいただきました。

私はアスリート就職できなかったので、それができる人と同じ土俵で戦わないように意識しました。例えば自分がアイドルになりたいとするじゃないですか。でもジャニーズ事務所に入ってもデビューできないかもしれないし、もっとイケメンもいて、その人たちと戦ったら負けるかもしれない。

でも例えば、田舎でお年寄りに向けて活動したら受けるかもしれない。純烈みたいに。そういう意味で純烈ってすごいと思うんですよね。王道ではなく、他のやり方を見つけたからこそだと思うんです。

私はアスリートとして就職できなかったら、アルバイトで生活をするという道は選びませんでした。だからこそ今のような生活が実現できています。既存の考え方や戦い方に囚われず、やり方を変えてみること。スポーツと仕事を両方頑張りたい人にはそれを伝えたいです。

●片桐菜摘さんSNSアカウント
Twitter:@kk_nico_kn0824
Instagram:natumikan0824

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Written by

トヨダヒロミ

トヨダヒロミ

大阪府出身。雑誌や広告を制作する編集プロダクションに約7年勤務したのち、フリーライターに。インフルエンサーなどの新しい肩書きや働き方に関心を寄せている。

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