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インタビュー

元LINDA HOSTEL106運営代表 水口智博/ホステルの廃業を乗り越えて目指す未来とは

#大阪市内 #転職活動 #ホステル #ゲストハウス

新型コロナウイルスの影響を受け、廃業を余儀なくされているお店は多々あります。今回お話を伺った水口さんが運営されていたホステルもそのひとつ。

2019年6月に友達と2人で開業したホステルを、2021年8月に廃業しました。今回は彼がホステルを開業するに至った経緯、開業して感じたこと、廃業後の活動について伺いました。

小さい頃から夢を次々と叶えてきた水口さん。ホステルの経営を通して見つけたのは、新しい夢でした。

■プロフィール
水口智博(みずぐちともひろ/1995年生/大阪府)
LINDA HOSTEL106|元運営代表
・夢だったイタリアに高校の修学旅行で訪れ、外国人に興味を持つ
・京都産業大学外国語学部英語学科へ入学
・大学3年生の頃にアメリカノースカロライナ大学に半年間交換留学へ行く
・ホステルを開業したいという新たな夢を持つ
・大学卒業後、2019年6月「LINDA HOSTEL106」を開業
・新型コロナウイルスの影響を受け、2021年8月「LINDA HOSTEL106」を廃業
・2022年3月からは株式会社CO&COにて、コワーキングスペースや語学スクールの運営業務に従事する予定

憧れの地で日本との違いを実感!海外で暮らす「人」に興味を持つ

海外での交流

外国にはもともと興味があったんですか?

小学生の頃からイタリアの街並みがすごく好きだったんですよね。

テレビでイタリアの特集番組が放送されていたら、録画して何回も見ていました。小学校の美術の時間でヴェネツィアの街並みを絵で描いたり、アマルフィ海岸の1,000ピースのジグソーパズルを買って必死に作ったり。それぐらい好きで、いつかイタリアに行くことを夢見ていましたね。

それが思った以上に早く叶ったんですよ。

いつ叶えられたんですか?

高校の修学旅行で1週間ぐらい北イタリアに行くことができたんです。ローマやフィレンツェ、ヴェネツィアなどいろいろな都市をまわりました。

テレビを見て憧れていた風景を目の当たりにして、すごく満たされる感覚がありましたね。それと同時に、憧れていた以外の側面も知れたんです。

憧れていた以外の側面?

はい、海外で暮らす「人」に興味が湧いたんです。

当たり前なんですけど、日本と同じようにイタリアにも人は暮らしているじゃないですか。でもそれを本当に実感したのが、現地に行ったときだったんですよ。

実際に訪れるまでは、イタリアと言えば、石畳の綺麗な街並みというイメージしかなかった。でもここに普通に暮らしている人がいて、その人それぞれに日常がある。

そのように考えていたら、この人たちのことをもっと知りたいと思ったんです。そしてイタリア以外の国にも行って、いろいろな人と話してみたくなりました。それで「英語」を学ぼうと決意したんです。

「ホステルを運営したい」という新しい夢ができた

それが理由で外国語学部の英語学科に入学されたんですね。大学時代には留学も経験された、とか

そうですね。大学3年生の後期にアメリカのノースカロライナ大学へ半年間、交換留学していました。

修学旅行でイタリアに行ったときには、全く言語が話せなかったんですが、留学時にはある程度英語が話せるようになっていましたね。そのため、世界中の国から集まってきた、さまざまな人と交流できました。

その人たちと話してみて気づいたのは「人は100%理解し合えない」という事実でした。

人は100%理解し合えない?

日本で生まれ育ったぼくと外国で生まれ育った人とでは、どうしても「違い」があるんですよね。

例えば、宗教観。日本人であるぼくの宗教観と生まれたときからキリスト教を信仰している人の宗教観は、やっぱり違うじゃないですか。授業でディスカッションする時間があったんですが、全然理解し合えなかったんですよ。

それ以外にも外見や言語、考え方などなど、たくさん違いはありますよね。その事実に直面したときに「100%理解できないからこそ、違いを理解しようと努力することに意味があるんじゃないか」と思えて。

それでもっとたくさんの人と出会い、違いを知るためにアメリカ横断の旅に出たんです。

違いを知るための旅!どれくらいの期間行っていたんですか?

大学のあるグリーンズボロからロサンゼルスまで2週間ほど旅をしました。電車やバスを乗り継ぎ、各地のホステルに泊まっていたんです。

ホステルにはヨーロッパやオセアニア、アジアなど世界各地から来ている人たちが泊まっていました。年齢や職業もバラバラで、初めて会うのにすぐに仲良くなれたんですよね。それでホステルっていいなぁ、と。

会社に就職してしまうと海外へ旅に出れるのは、年に1回ぐらい。でもホステルを開業すれば、旅をしなくても世界中の人と毎日会える。

この旅がきっかけで、ホステルを開業することが新しい夢になりましたね。そんな想いを抱きつつ、日本に帰国しました。

「人がつながる 世界が広がる」ホステルを作った

LINDAHOSTEL106

ホステルを開業したい!と思っても、いきなりは難しいと思いますが……

ぼくもホステルをいきなり開業できるとは思っていませんでしたよ(笑)

大学3年生の1月に帰国したんですが、就職活動を始めようとしていました。そのタイミングで、小さい頃から家族ぐるみで仲が良かった、IT会社の社長さんとご飯を食べに行く機会があったんです。

そこで「留学中にホステルを開業したいという夢ができました!」と伝えたんですね。そうしたらその社長さんが「うち最近オフィスを変えたんよ。それで前のオフィスがうちが所有している物件で、何に使うか迷ってたんよな。そこでホステルやってみるか?」と言ってくださって。

それでホステルを開業できることになったんです。本当に運が良かった……

運命的な出会いですね!大学卒業後すぐにホステルを開業したんですか?

開業したのは2019年の6月です。大学を卒業してから1年後でした。

物件が決まった後、まず一緒にホステルを運営してくれるメンバーを探したんですよ。社会に一度も出たことがない自分が、一人で運営するのは到底無理だと思っていたので。

ちょうどそのときに、年がひとつ上の仲の良かった友達から「最近会社を辞めた。近況報告も兼ねて会おう」という連絡が来たんです。そしてホステルを開業することを伝えたら、一緒にやりたいと言ってくれて。

それでその友達と一緒に、開業の準備を進めていきました。

LINDAHOSTEL106運営者の2人

具体的にはどのような準備をされていたんですか?

さまざまな準備が必要だったんですが、物件のオーナーである知り合いの社長が全面的にサポートしてくれました。そのため、ぼくらはコンセプトやオペレーションを考えていましたね。

1階にはカフェやバーを併設する予定だったので、メニュー開発も行っていました。

最終的にはどんなコンセプトにしたんですか?

「人とつながる 世界が広がる」です。ぼくがアメリカ横断中に訪れたホステルのように、国や人種、職業、年齢など、さまざまな違いに関係なく、つながりが生まれる場所にしたかったんですよね。

そのコンセプトができたときに、まずは自分たちがたくさんの人とつながっていこうと決めました。そして、知り合いのカフェやバーで1日店長をやらせてもらったんです。

そこに来てくださったお客様に「1年後にホステルをオープンする」ということを伝えて、自分たちを応援してくれる人を集めていきました。

最終的にはクラウドファンディングも行いましたね。支援してくださった方には、宿泊券やドリンク券などのリターンを用意して、開業後に足を運んでもらえるよう仕組みを作っていました。

新型コロナウイルスの蔓延……外国人が来なくなった

LINDAHOSTEL106スタッフ

開業後はいかがでしたか?

開業前から応援してくれる人を集めていたおかげで、たくさんの人たちに来てもらえましたね。海外からもお客さんが来てくれて嬉しかったです。

ぼくは宿泊予約を見るのが密かな楽しみでした。「明日はブラジルの人が来てくれる。どんな人なんだろう。早く話してみたいな」という感じで、毎日ワクワクしていましたね。

「人とつながる 世界が広がる」というコンセプト通りの場が作れていたと思います。

自分たちが求めていた場が作れた実感があったんですね

そうですね。

例えば、外国人宿泊者と日本人宿泊者がぼくらのホステルで出会い、1階のバースペースで乾杯していたり、ギターを弾きながら歌を歌っていたり。言葉が通じなくてもボートゲームを一緒にして交流している人もいました。ときには、ぼくらも混ぜてもらって、盛り上がりすぎてそのまま夜を明かしたこともあります。

もちろん外国人同士、日本人同士の交流もありましたよ。中にはホステルで出会ったのをきっかけに、カップルになった人や仕事を一緒にすることになった人、シェアハウスで一緒に住むことになった人もいましたね。

さまざまな「違い」がある人が集まって、それを理解し合おうとし、つながることができる場でした。

想像しただけで楽しそうだなと思えました。逆に苦労した点はありますか?

売上を上げ続けることですね。

自分たちがつくりたい場は実現できていたと思うのですが、それに売上がついてこなかった。力不足を痛感しましたね。

また開業して1年ほど経ってからは、新型コロナウイルスが蔓延し、その影響をかなり受けることになりました。海外からのお客さんは来なくなりましたし、ぼくらのホステルにはドミトリータイプの部屋しかなかったので、日本人の宿泊客もほとんどいませんでした。

売上を上げるために、2回目のクラウドファンディングを行ったり、オンライン上で宿泊ツアーを開催したり。宿泊がダメならバーやカフェの売上をアップさせようと、デリバリーサービスの提供や新メニューの開発なども行いました。

試行錯誤して、いろいろとチャレンジしたのですが、どれも厳しくて。経営的にかなりしんどくなりましたね。

結局、2021年8月に廃業することになってしまいました。

ホステルを運営していて見つけた新しい夢

水口智博2

非常に残念です……そこからはどのように過ごされているんですか?

いまは日本語教師の資格を取ろうと勉強しています。講座を受講しつつ、留学やホステルで出会った外国人に対して無償で日本語を教えていますね。週に1回1時間、6〜7人ぐらいを対象に行なっています。

また3月からは株式会社CO&CO(以下、CO&CO)で働くことが決まっています。入社して数ヶ月は札幌でコワーキングスペースや語学スクールの運営業務を担当する予定です。

CO&COさんに就職を決めた理由は?

ひとつは、ホステルを運営しているときにはできなかったことができると思ったからです。常連客だった在日外国人たちから、日本での生活に関する悩みをよく聞いていたんですよ。

言語の問題で、日本人と上手く交流ができないこと。就職がなかなかできないこと。賃貸契約を外国人という理由で断られたこと。

このような話を聞いても、どうすればいいかわからず、あまりサポートをしてあげられませんでした。

CO&COでは、在日外国人のコミュニティ・プラットフォームを作っていて、日本語を教えていたり、就業支援を行っていたりするんです。ここで経験を積めば、助けてあげられなかった在日外国人たちの力に、今度こそなれると確信しました。

在日外国人たちの生活のサポートをされたいんですね。他にはいかがですか?

「コミュニティで世界をひとつに」という理念に共感できたことですね。これってまさにぼくらが運営していたホステルのコンセプトそのものだと思ったんですよ。

自分たちのホステルは廃業してしまいましたが、CO&COならその想いを変えることなく働くことができる。内定がもらえたときは、胸が踊りましたね。

最後に今後の夢を教えてください

ぼくはやっぱり「違い」を理解し合うことをすごく大切にしていきたいんです。国や言葉、考え方など、人と人との間にはさまざまな違いはあります。

しかし、信頼関係を築き、それを深めていくことはできるはずです。

分断が進む世の中ではありますが、違いを互いが理解し合い、つながり、共生できるような世界をつくっていくことに寄与できるよう、がんばります!

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Written by

佐藤純平

佐藤純平

1990年生まれ。大手予備校の進路指導、農家、ファンドレイザーとさまざまなキャリアを経験し、現在はフリーランスのライター兼プロコーチとして独立。インタビュー記事やエッセイの執筆を主に行っています。自転車で日本を縦断していたほどの旅好きであり、毎日1冊の漫画を読むほどのマンガ好き。