「今の仕事、向いていないかも」「このまま同じ每日の繰り返しでいいのだろうか…」誰しも自分の働き方に迷うときがありますよね。
今回は中学教師を経てカフェ経営者となった異色のキャリアを持つ髙井勇樹さんにインタビューして、なぜ長年の夢だった教師をやめて飲食業界へ転身したのか、そのキャリアについてお話を伺いました。
かつての教え子が「先生と一緒に働きたい」と訪ねてくるほど人望のある髙井さん。その仕事に対する向き合い方や人生観にも迫ります。
学年で1番足が遅かった運動音痴が、スポーツ推薦で体育大学に進学するまで
両親がカフェを経営していて、生後すぐからお店のカウンターで過ごしていたそうです。お客さんも家族の一員のようなにぎやかな環境で育ち、物怖じせず明るく元気なリーダータイプの子どもでした。
コンプレックスは運動が苦手だったこと。ぽっちゃりしていて学年で1番足が遅く、運動会では万年ビリ。それが悔しくて、悔しくて。唯一、3才からはじめた水泳だけは得意だったので「何か自慢できるようになりたい」という思いから水泳に打ち込みました。
両親からも「何か1つのことを頑張りなさい。あなたは何を頑張るの?」と訊かれ、スポーツを頑張ることを決意。中学校の登校前に朝練をして、放課後もプールへ直行してひたすら泳いで…と何よりも水泳を優先して泳ぎ続けていましたね。
水泳と併行して、ソフトボールや合気道などのスポーツに挑戦して体を鍛えていくうちに、中学校ではリレーのアンカーに選ばれて1位になるほどにはスポーツが得意になっていました。
その頃から「将来はスポーツを教える仕事がしたい」と考えるように。運動が苦手な人の気持ちもわかるため、苦手なことでも努力すればできるようになることを教えたいと考えていました。
担任の先生からも後押しされ、教師を目指せる大阪体育大学の付属高校にスポーツ推薦で入学しました。
有名選手と出会って挫折、全国一の部活に励んだ大学時代
高校時代も水泳に打ち込みましたが、大学に入学するといきなり挫折を味わいました。水泳部の先輩に元競泳選手の北島康介選手などレベルが違う選手がゴロゴロがいて、自分の限界を感じて水泳から離れることに。友人に誘われフライングディスクを用いた団体競技を行うアルティメット部に転部しました。
大阪体育大学のアルティメット部は全国1位の強豪だったのですが、そうとは知らずに入部してしまい、これまた厳しい世界が待っていたのです。
本当にしんどくて、それまでしていた水泳と比べ物にならないほど。每日やめたいと思っていましたが、両親との約束があるのでなんとか踏ん張りましたね。
歯を食いしばって練習を続けていくうちに、日本選手権で優勝したり大会でMVPをもらったりと努力が実を結びました。
こうした結果は自分一人の力ではなく、まわりの支えがあってこそ。あきらめずに努力することで、一人でできないこともチームでなら成し遂げられる…。そんな大切なことをアルティメットを通して学びました。
憧れの教師を辞めて飲食業界に飛び込んだワケ
大学卒業後、中学校で保健体育を教える教師になりました。マニュアルをなぞるのではなく、生徒が大人になった時のことを考えて、挨拶や人との関わりの大切さを伝えるなど自分なりのやり方で生徒と向き合っていました。
生徒のために一所懸命に働いていましたが、徐々に教師は学校という組織の中でしか仕事ができないという壁にぶち当たり、悔しい思いをすることが増えました。
次第に、学校ではなく自分のフィールドで教育の場を作れないだろうかと考え始めるように。
その頃、膝の靭帯を切る大怪我をして、一時期寝たきりの車イス生活を送ったことから、健康の大切さを痛感するとともに、健康に欠かせない「食」に興味を持ち始めました。
食に携わりながら人に教える仕事がしたいという思いが強くなり、7年間務めた教師を辞めて、飲食業界へ飛び込みました。
30才で調理師の専門学校へ入学して1年間の学生生活の後、あえて厳しいと評判の和食のお店を選んで再就職したのですが、お店では1番の下っ端で、給料16万からのスタート。
午前2時に仕事を終えて、午前6時には出社する…。修行だと思って休みなく働き、人が嫌がる掃除をしたり率先してまかないを作ったりと、人が寝ている時間や遊んでいる時間も努力を重ねて、3年かかるといわれる技術を1年で学びました。
株式会社daily doseで働く人との繋がりで未知の飲食コンサルタントに転身
経験を積み、別のお店で新たな技術を学ぼうと思っていた矢先に、人材紹介会社へ相談した前職の先輩から声をかけられました。「こんな奴がいる」と私の話をよくしていて、社長が興味を持ってくれたそうで、人材紹介会社の社長を紹介していただきました。
飲食コンサルタントという仕事があることも知りませんでしたが、オファーをいただいてさまざまな飲食店のサポートをすることに。
コンサルタントとして1年間で10店舗の飲食店に携わりました。ここでも「人が3年かかることを1年で学ぶ」の精神で、寝る間も惜しんで働く日々。
経営者・業者・スタッフの間に入って、双方の思いを伝えることで労働環境を改善していきました。その甲斐あって、名物料理を生み出したり、前年比120%増の売上げを達成したりと、成果を上げられました。
従業員を守るため、会社を設立!
飲食コンサルタントの仕事は充実していて、まさか自分が会社を設立するとは夢にも思っていませんでした。
会社設立のきっかけはコロナ禍です。
日本に飲食店を複数展開している外資系の会社のCOO(最高執行責任者)として店舗開発を担当していたのですが、新型コロナウイルスの感染拡大からその会社は日本から撤退することに。大阪・梅田に新しいカフェをオープンしたその日の夜に店を潰すよう指示されました。
真っ先に浮かんだのは従業員たちの顔です。新卒で入社してくれた社員、頑張ろうと思って入ってくれたスタッフたちを路頭に迷わせるわけにはいかない。なんとしても助けたかった。選んだ道がいい道だったと思ってもらえるように、気がついたら店を売ってくれと交渉していました。
そのためには3日以内に会社を設立しなければならず、自分で調べて誰にも相談せず一人で「株式会社daily dose」を設立。M&Aを行い、梅田のカフェを引き継いで「daily dose coffee」をオープンしました。
「人の喜びが自分の喜び」お客様も従業員も、みんなを幸せにしたい
daily dose coffeeはSNS映えするメニューが好評で、おかげさまで軌道にのっています。
実はこのカフェには中学教師時代の教え子もアルバイトとして働いてくれています。「先生と働きたい」と連絡をくれたのがきっかけなんですよ。
水泳少年だった自分がここまでこられたのも、人との出会いがあってこそだと思っています。家族、友人、恩師、チームメイト、上司…これまで出会ってきたすべての人たちがいてこそ、今の自分がある。
そんな人達へ恩返しをしたいと思っていて、每日「give and give」の精神で働いています。見返りはいりません、ただ笑顔が見たい。お客様や従業員が喜んでいる姿をみたときに心底やりがいを感じています。
ぜひ一緒に働く方にも、give and give精神に共感いただけたり、人を大切にしたいと思っていただけたらうれしいです。
食をベースに多方面に挑戦できる環境がここに
弊社の事業内容は、カフェの経営だけにとどまりません。飲食店の経営や飲食コンサルティングはもちろん、最近では需要の高いSNSのコンサルティング事業も始めました。
今後は、北海道での民泊事業やmade in Japanの食品や化粧品の輸出事業、農家さんと契約して野菜の販売事業もスタートする予定です。
従業員の一人が「韓国に携わりたい」という夢を持っているので、それも事業として叶えたいですし、飲食業界で働く人の悩みを相談できる場所づくりもしてみたいです。いろいろなことに挑戦できる環境がありますよ。
さまざまなことに興味があり、新しいことに挑戦してみたい方は、ぜひ一緒に働きましょう!
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