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インタビュー

関西大学卒業後、落語家になることを選んだ。後悔はない。/月亭 秀都

関西大学は「関関同立」と呼ばれる知名度の高い大学。
卒業後、多くの学生が一般企業へと就職する中で、全く違う道を選ばれた月亭秀都さん。
他の人とは違う道を歩むことに対しての不安や頑張り続けられる動機などをインタビューしました。

■プロフィール
・月亭 秀都(ツキテイ シュウト/1990年6月1日生/兵庫県姫路市出身)
・高校時代は野球部に所属
・部活を引退後、落語のおもしろさを知り興味をもつ
・関西大学 経営学部に入学、サークルは落語研究会(落研)に所属
・卒業後、上方落語の道へ進むことを決意
・2021年現在は吉本興業に所属しながら、月亭文都さんに弟子入りし、落語家として活動中

落語との出会い、「落語家」という夢


ーまずは、秀都さんが落語に興味を持たれたきっかけを教えてください。

落語に出会ったのは高校時代です。
ダウンタウンの松本人志さんが落語のCDを聴いていると知って僕も聴いてみようと思いました。

元々落語はお年寄りしか聴かないという先入観があったんですが、松本さんが聴いていると知って、その先入観が少し無くなっていたんだと思います。

最初に聴いたのがわかりやすい演目だったということもあり、聴いたら本当に面白くて、落語って意外と楽しめるんやなって思いました。

ー好きな落語を聴く側から、演じる側になりたいと思われたタイミングはいつでしょうか?

落語を聴き始めたのが高校3年生の秋ごろ。

大学ではたくさんの選択肢がある中で、ゼロから始められることを何かしたいと思って、少し前から興味のあった落語研究会(以下、落研)サークルに入ってみようかな、と思ったんです。

落研では落語の見せ合いや学内公演、老人ホームや敬老会の慰問などを行いました。僕が4年生のときには部員も50名ぐらいに増えていて、楽しかったです。

ー卒業後、落語の道へ進もうと決められたのはなぜですか?

周りも就活に向けて準備し始めて、自分もこれからどうしようかと悩んでいるときに、今の師匠である月亭文都さんの独演会を観る機会がありました。

落語家になりたいという想いはうっすらあったのですが、師匠の独演会を観て、自分の中で気持ちがさらに強くなって、この道を進むことを決意しました。

落語家になることを決めたので、就活はしなかったです。

ーご両親に反対はされませんでしたか?

実は両親に報告したのは師匠に入門志願に行った後なんです(笑)
それまでは就職の話は騙しだまし、ごまかしながら、師匠にも両親の許可を得ていると嘘をつきました。

入門を認めてもらえてから、両親に事後報告をして、「もう入門を認めてもらっているから」と強制的に許してもらったような感じですね。

今では両親も応援してくれていて、地元の姫路で公演会をする際などは観に来てくれます。

ーご両親はびっくりされたでしょうね。秀都さんの周りの方々は、一般企業への就職が多かったかと思いますが、周りの方々と比べて不安はありませんでしたか?

当時は丁度、就職氷河期でもあったんです。

落研の先輩も大半が一般企業に就職していましたが、先輩方にお会いするとみなさん大変そうで、楽しいだとかポジティブな話は、ほとんど聞かなかった。

なので正直なところ、サラリーマンになることの方が不安に思っていたところはあります。

先輩方の話を聞いて、僕はやりたいことをしたいとさらに思いましたし、落語の道を進むことに不安はあまりなかったですね。

ーその選択を後悔されたことはないですか?

そうですね。
一般企業に就職しておけば良かったな、という後悔は一度もないです。

ただ、友人たちを見ていると、周りはみんな立派に会人をやっているんだなぁと感じます。

学生時代の僕たちは、『自分たちはマイノリティーな趣味の集まり』という仲間意識があったんです。

それが今では、みんな就職したり、結婚して家庭を持っていたり、貯金や保険の話なんかもするようになって。
友人たちは少数派から多数派の大人に成長しているけど、自分の方が成長していないなって。

そういった面では、周りとの違いを多少感じたりすることはあります。

落語家7年目、今でも準備期間


ー落語家になられてからの生活について教えてください。

流派にもよりますが、落語家は基本的には見習い期間を経て、入門を許可されて、そこから3年間は修行です。

修行期間中は住み込みで師匠の元で、掃除・洗濯・家事全般、公演があれば鞄持ちなども行い、空き時間に稽古をしていただきます。

ただ、生活費を稼がないといけないので、時間が少しある時には居酒屋のアルバイトを入れたりしていました。

修行期間中は、稽古だけでなく礼儀作法に関することなど、本当にもう毎日のように怒られていましたね。

ー厳しい修行期間を終えられたらどうなるのでしょうか?

3年間の修行を終え、師匠の許可が下りたら独り立ちができます。
これを『年季明け(ねんきあけ)』と言います。

年季が明けると、様々な落語会に前座で出させてもらうことや、小規模ですが自分で落語会を開くことが可能になります。

自分で主催する場合は、公演はすべて自己プロデュースになります。場所の確保、チラシのデザイン・発注から宣伝まで全て自分で行います。

主催すると落語より準備の方が大変ですね(笑)

公演後は書いていただいたアンケートを読みます。
時には厳しいご意見をいただくこともありますが、近頃は褒めていただけることも増えてきました。


ー修行を終えた後も努力され続けているんですね。秀都さんは現在7年目とおうかがいしています。今までで壁に打ち当たったことはありますか?

この世界に入った当初ですね。いきなり壁に打ち当たりました。

落研の活動を4年間していたので、自分の中で落語をやっているという自負がうっすらあったんです。
プロの世界を知って、それが完全に崩れましたね。

自分は落語をやっていたようでやってなかった、ゼロからのスタートだと思い知りました。

落語ってむずかしいなって改めて思ったんです。

ー秀都さんの落語家人生において、ターニングポイントとなった出来事はありますか?

やはり年季明けですかね。

自分で落語会を主催してお客さんに楽しんでもらえたり、自分の落語を聴きに来てくれる人が増えたことは嬉しかったです。ようやく始まったという感じでした。

とは言え、まだまだこれからです。
2021年の春には落語家になって丸7年が経ちます。

落語家は10年経って初めて、独演会という名前を使って公演が出来るんです。

独演会を開くことが僕の一つの目標であり、それまでは今もまだまだ準備期間です。

これからの目標と伝えたい想い


ー秀都さんの今の目標や思いを教えてください。

コロナウイルスが蔓延して、僕たちもなかなか積極的な活動ができなくなりました。

以前は、公演で全国各地を回っていて、落語を通して一期一会の出会いが沢山ありました。
そこで出会った方々から、僕の方が生きる活力や喜びをもらっていたように思います。

コロナウイルスが収まって、また元の生活に戻れたら、各地を飛び回りたいですね。

60歳、70歳になっても各地を回って、落語を通して色々な方と繋がりたいというのが僕の思いです。

ー最後に、秀都さんのように好きなことを仕事にするか悩んでいる方々へメッセージをお願いします。

僕は、誰もが自分の夢を叶えるために、わがままになっても良いんじゃないかなと思います。

好きなことを追い続けることは何も悪いことではないですし、我慢する必要もないと思います。

人生は一度しかないです。夢を叶えるために挑戦してください!

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Written by

YURI

YURI

大阪府出身のライター。 小説、ラジオ、美容コスメ、韓国をこよなく愛する。 大学卒業後、大手アパレル、英語教育サービスを経て、ライターに転身。 『話してくれた人の想いをきちんと届けること』がモットー。

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