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インタビュー

モデルと心理カウンセラー。ふたつの顔を持つ人生とは/濱田 隼人

#資格 #モデル #心理カウンセラー

■プロフィール
・濱田 隼人(ハマダ ハヤト/1987年7月25日生/兵庫県宝塚市出身)
・高校卒業後、業務用厨房機器の製造会社に就職し製造スタッフとして勤務
・その後、小学校、高等学校にて体育などの臨時職員として勤務
 働きながら通信大学に通い、小学校教員免許を取得
・5年半、障害者福祉施設にて主任として勤務
その間に介護福祉士・メンタル心理カウンセラー資格を取得
・一部上場大手グループ運営 オンライン恋愛相談にてNo. 1獲得
 男性カウンセラーの中では常に人気No. 1をキープ。相談件数は3000件超
・現在、モデル業とカウンセラー。オンラインでラジオを毎日放送中

端正なルックスから、芸能の仕事を生業にしていることが伝わる濱田隼人さん。
しかし、彼の本業は、悩みを抱えた方に寄り添いながら解決に導く「心理カウンセラー」です。

濱田さんが心理カウンセラーの道に進んだのは、生い立ちや人との出会いがきっかけでした。
現在の境遇を受け入れながら、好きなことを仕事にするにはどうすれば良いか?カウンセラーとモデル、二足の草鞋を履く濱田さんに取材し、現在までの軌跡を辿ってみました。

多くの問題に取り巻かれた幼少期


兵庫県の宝塚市に生まれ、両親と姉の4人暮らしでした。しかし、3歳のときに父親が浮気し家から出て行ってしまい、そこから母と姉と3人で暮らしていました。
母親がひとりで家計を支えてくれていたので、4つ上の姉が母親代わりとなり、兄弟で支え合いながら過ごしていました。

小学校に進学してからは、とにかく目立つことに命をかけているような子どもでした。「人気者になりたい」「みんなを笑顔にしたい」そんな気持ちから、学校のお笑いクラブに入っていました。

小学6年生のときには「ゆず」の影響を受けてギターもやり始めたり、ちょうどハモネプが流行っていた時期でもあったので、アカペラバンドも組んで文化祭にも出たり。

周囲の友だちからは「目立ちたがり、元気のピークは小学生時代やな」って言われます(笑)

中学生になってからも明るく目立ちたがり屋な性格は変わらなかったのですが、幼少期に父親が家を出て行ったことで、母親が精神的に不安定になっていて。

その頃に誘われた宗教法人に家族で入信し、集会のような行事に参加していました。
中学生になってもこの習慣は続いており、家族で行事参加が必須だったので、部活や友だちとの予定よりも優先しなければなりませんでした。

この宗教法人の存在が家族として物質・精神的に助けられていた半面、子どもながらに周りの友人には言えませんでした。

当時バスケ部に入部していましたが、練習はもちろん試合にも出られないこともあり、家族を悲しませたくなかったので、この頃はとにかく宗教の行事を優先していました。

青春漫画のような高校時代


高校は三田にある公立学校へ進学。私立に行くお金がなかったのと、勉強が苦手だったこともあり、特に何も考えずにこの学校に進学しました。

部活はしていませんでしたが、高校2年生のときに学校の体育教師から「ハンドボールをやらないか」と突然誘われたんです。

この先生がハンドボールの世界では少し有名な人で、私自身も運動神経には自信があったのですが、当時通っていた高校にはハンドボール部もないうえに競技のルールすら知らなくて…。
ただその誘ってくれた先生の熱意にうたれ、部員集めからスタートすることになりました。

高校2年生のときだったので、大体の生徒が何かしらの部活に入っており、入っていなかったのは俗に言うヤンキーばかりです。
そのヤンキーの生徒たちを誘い、ハンドボール部がスタートしたんですが、当初はまさに人気野球漫画のような状態でした(笑)

集まったのは良いものの、短気なメンバーが多く、試合では相手選手を殴りかかって中止になる場面もしばしば。
そんな状況の中、まじめに練習に励むことで、引退前には兵庫の三田エリアでベスト3に入るほど成長することができました。

部活仲間と学校生活を過ごしていく中で、「学校が好き」「友だちっていいな」という気持ちが強くなり、この頃から学校の先生になりたいと思うようになっていました。

ただ、進学か就職かを考えた際に大学には行きたくなく、教師の夢への具体性もなかったので、イチからものづくりに携われる工場での仕事をしようと決めました。

現実と理想の間で揺れる毎日だった


業務用の厨房機器をつくる会社に入社し、フライヤーやブースターなどの機器をイチから作っていました。本格的な職人の世界で溶接なども担当していましたね。

その会社で4年間勤務していたのですが、教師の道も諦めきれず、22歳のときに一時的に体育の授業を行う補助教員の試験を受けました。
面接・実技・筆記試験を受け、無事合格。1年間を通して小学校全学年の体育授業を受け持っていました。

その後、24歳のときに、「公立高校の普通科で障がいのある生徒を受け入れるからサポートしてほしい」と声をかけてもらい、その生徒たちの授業のサポートや生活面、メンタル面のケアなどを担う臨時職員になりました。

縁がつながり、その後の1年間も三重県の学校で体育の補助教員を担当。

教育現場で働いていく中で、現場の大変さを痛感するようになりました。
全教科を教えるのはもちろん、授業の準備、保護者対応、教育委員会への報告、行事の準備など、本当に仕事量が半端じゃなかったのです。

生半可な想いでは無理で、自分の人生を捧げるほどの覚悟と決意がないと務まらない世界だと痛感し、定年までこの仕事をしていくイメージがその段階では抱けず、教員への道は断念しました。

自分の経歴を振り返り、障がいのある生徒との関わりにやりがいや充実感があったのを思い出しました。

そこで、18歳以上の障がいのある方が、社会で働けるように支援する障がい者福祉施設で働くことにしました。
兵庫の芦屋にある施設で、仕事内容は、障がいを持つ方と一緒にパンを仕入れ、注文してくださった個人宅に配達するような仕事が中心でした。

障がい者の年齢は20代から40代を中心に幅広く、自閉症の方や精神障がいの方が多かったため、仕事中にパニックになったり、泣いたりなどの行動が日常的にあったのです。

こういった方を理解したい、専門的な知識を習得していきたいと考えるようになり、5年半の勤務期間の中で介護福祉士・メンタル心理カウンセラー資格を取得しました。

この仕事を通して感じたことは障がいを持つ方を支援する仕事とは別に「組織に属する大変さ」です。

勤め始めの頃は、スタッフからのスタートでしたが、入社後すぐに管理職が辞めてしまい、主任へと押し上げられました。パートさん中心の職場であったため、一人ひとりが働きやすい環境づくりを心掛けていたため、それぞれに寄り添いながら勤めていましたが大変でしたね。

ただ、この職場での経験は社会人として良い経験になりましたし、成長できた実感もあり、やりがいは大きい仕事でした。

自分の理想にギアを入れはじめた


30歳を迎えてからは、別の仕事もしてみたいと考えるようになっていました。
実は、26歳の頃から平日の仕事終わりや土日にモデルを副業としてはじめていたんです。

最初の仕事は、知り合いの広告代理店担当者から紹介された、さまざまなシチュエーションを演じる写真素材(ストックフォト)のビジネスマン役スナップモデルでした。
それ以降、ありがたいことに、「モデルで食べていけるよ!」と周りから声をかけてもらえるようになっていました。

加えて、取得した心理カウンセラー資格を活かして働きたいとも考えていて。

当時大手IT企業が運営していた、電話を通じて相談者の悩みを解決するというカウンセリングサービス業務にチャレンジすることにしました。
カウンセラーの実務経験はありませんでしたが、資格・やる気・勢いで応募しましたね(笑)

運営会社に問い合わせところ面接を勝ち取ることができたのですが、当時そのサービスに登録されているカウンセラーは名だたる経歴を持つ人ばかりでした。当然、お金をもらう仕事ですから正しいアドバイスが必要です。

「5回の模擬試験で合格できたら登録」という条件だったので、面接を重ねる中で、これまでの経歴などを精一杯伝えました。
晴れて試験に合格し、心理カウンセラーとしてデビューできました。

デビューしてから恋愛相談を中心としたさまざまなお悩みに真摯に向き合っていく中で、ユーザーレビューをはじめとする口コミで「復縁できた」「恋が成就した」「就職が決まった」「占い師より当たった」などのコメントが多く寄せられるようになっていました。

口コミが口コミを呼ぶようになり、40名近くいたカウンセラーの中、指名ランキングで堂々の1位になりました。ただ、残念なことにこのサービスが1年で終了してしまったのですが。

理想がカタチになりつつある毎日


その後、国内最大級のオンライン上の相談サービスからオファーされ、1カウンセラーとして登録し、仕事や恋愛、メンタルのことなど幅広い内容の相談を受けていました。

その後、個人HPを開設し、SNS等での発信を通してダイレクトメッセージなどの依頼が届くようになり、1日3件程度の相談を受けています。

相談を受ける方の多くが、本人にとって深刻な悩みを抱えている場合が大半。
だからこそ、カウンセラーとしてアドバイスし、解決の糸口をみつけるキッカケにつなげられた時の達成感は格別ですし、やりがいもある仕事だと感じています。

またモデル業に関しても、自由に活動したいと思っていたので特定の事務所には所属せず、フリーモデルとして仕事をいただいています。

これまでには、大手結婚情報誌やメンズファッション雑誌、車のWebCMなどにも出演しました。

心理カウンセラーの仕事をメインに週に1、2回の頻度でモデルの現場へ。今まではスチール撮影が多かったのですが、時代の流れとともに動画撮影が増えてきましたね。演じることの難しさを痛感しています。

今後はカウンセラー業を本業として、より一層力を入れていきたいと思っています。
なぜ、カウンセラー業を本格的にしたいと思っているのかというと、昔の話に戻りますが20歳のころ、家族を残し宗教法人から脱会したときの経験からです。

この組織の生き方に違和感を抱いていたのですが、この法人から離れるには「家族との縁を切らなくてはならない」という厳しい規律があったため、脱会の決断=家族との断絶だったのです。

それでもこの組織に留まることは、自分の人生ではなく“家族のために生きることになる“と考え、“自分の人生を生きたい”との想いが抑えきれず、決意し、実際に縁を切ることになり、本当に仲の良かった母や姉とは脱会以降、約10年ほど会っていません。

父との別れから母が喪失感を抱えていたのと同じように、私も家族との別れを通して、“孤独”と“不安”を抱え過ごしてきました。

人生において、この“孤独”と“不安”、2つの負は多くの方にとって、つきまとう存在だと思っています。

また、これらを抱えているときには何かに依存したいと考え、やがて自分の人生ではなく、誰かの人生を歩んでしまう人がいます。
自分自身がそうだったからこそ、同様の悩みを抱えている方に、孤独と不安と上手に付き合い“自らの人生を自分で切り拓いていく”人を増やしていきたいと感じてカウンセラーの道を選んでいます。

モデル業に関しても頻度は変わっても、一緒に仕事するスタッフの人の良さやチーム一丸となってつくり上げていくやりがいも知っているので、年齢を重ねても世代ごとの需要に沿っておじいちゃんになるまで続けたい仕事です。

スモールステップで未来を変える


この記事を読んでくださっている方の中には、「どうせ現状を変えられない」と感じている方がいるかもしれません。僕自身がまさしくそのひとりでした。

昔の自分を思い返してみたときに今の自身の姿を想像することはできません。ただ「やろう」と決心すれば、人ってどんなことでも挑戦できるのだと、今なら確信を持って言えます。

モデルと心理カウンセラーの二つの顔を持つキャリアを歩んでいますが、これまで大きなキッカケがあったわけではなく、一つひとつの積み上げが今につながっているのだと思います。

昔から勉強が嫌いで自分は勉強ができないと思い込んでいました。しかし、国家資格を取ろうと本気で決心したときに合格したことを含め、「できなかったのではなく、やらなかっただけ」だったのだと気づかされました。

また、当時は日々将来の理想を描きながら、さまざまな挑戦をする人の本やブログを読み漁っていました。
それらに影響を受け前向きに行動してきた結果、カウンセラーやモデルの仕事を通して、ご飯が食べられるようになったのだと思います。

現在、未来に何かしらの悩みを抱え、次の一歩を踏み出せない方にアドバイスできることがあるのだとしたら、“スモールステップ”を大切に、とにかく小さなことからでも行動してほしいなと思います。

ひとまず、やりたいことに関する情報を集め、歩める道筋を考えてみる、資格取得などを考えている人は資料を請求してみるだけでも、現状の何かを変えられるかもしれません。

私も目の前の仕事にしっかりと向き合いながら、今後も自分の理想とする未来に向けてスモールステップで歩んでいこうと思います。

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Written by

HAKU

HAKU

大手人材会社にて、法人営業を経験後、制作部門に異動し製造、IT、飲食、エンタメとあらゆる業界の上場企業からスタートアップのベンチャーなど、10年超のキャリアにおいて約3000社以上の企業の取材・制作・ライティングを実施。関西の制作責任者を務めた後、フリーランスにて活動を開始。