■プロフィール
・水谷 勇貴(ミズタニ ユウキ/1989年3月28日/愛知県出身)
・2011年21歳のとき、設立間もない『Y.W.C.株式会社』に入社
・2012年11月、東京支社を1人で立ち上げる
・2012年から2016年までの4年間、関東支社長として勤務
・2020年6月から、統括マネージャーとして西日本エリア9拠点のマネジメント業務に従事
・同年、社内初の『社内起業家』として、関東・東海地域でテイクアウト専門の飲食店を経営(※ピザ屋(神奈川)&弁当屋(愛知県)各1店舗)
働くことへのモチベーションは人それぞれ違っています。仕事はあくまでも、“収入を得る手段”と捉えるのも、もちろん悪くはありません。しかし、人生の多くを占める時間だからこそ、楽しみながらやりがいを持って働けるのが理想ではないでしょうか。
そこで今回は、企業に勤めながらも『社内起業家』として、自分のやりたいことに挑み続けている水谷さんにインタビューを行い、現在の働き方に至った軌跡を辿ってみました。
プライドを捨てて頭を下げた入社1年目
学生の頃は「地図に残る仕事がしたい」という思いがあり、新卒で建設会社に入社しました。でも、そこはとてもブラックな会社で、入社半年で挫折し辞めました。その後2011年、知人に代表の白木を紹介してもらったのがきっかけで、『Y.W.C.株式会社』に入社しました。
僕が入社したのは設立して間もない1年目のときでした。今はもう数百人規模の会社に成長しましたが、当時はマンションの1室をオフィスとし、社員も十数人でたまだ小さな会社でした。
携帯販売という、前職の建設業界とは全く異なる業界、職種へのチャレンジでしたが、前職が過酷な環境(朝から晩まで働いて、休みも週1日あるかないか)でしたし、残業代もほぼみなしでした。それに比べたらきちんと残業代ももらえましたし、大変さは全然感じなかったですね。
入社当初は、名古屋駅の目の前にある大手家電量販店内の携帯ショップに配属されました。
当時の配属先の店舗に東海エリア777店舗中1位の成績をたたき出しているトップセールスマンがいて、その人に頭を下げてコツを教えてもらいました。
ただ、はじめから優しく教えてくれたわけではなく、はじめの数か月は無視されていましたね。(笑)でも粘って、毎日その人が帰る時間まで店の前で待ってごはんに誘い続けました。
「僕と一緒にご飯食べに行ってください!」とプライドを捨てて頭を下げ続けました。それを2か月くらい続けたある日、ついに粘り負けしてご飯に行ってもらえました。そこで僕はその人に近づくために、営業のコツや普段考えていること、休みの日の過ごし方から食べているものなど細かく聞き出してすべて真似ました。これは代表の白木からのアドバイスでした。
「全然教えてくれないと、その人の愚痴を言う暇があったらその人の全てをまず真似てみろ。それが成功への最短ルートだ」と。
「トップセールスマンの考え方、やり方をひたすら聞いて、カメレオンのようにひたすら真似る。その人を超えるまで、とにかく真似る。そしてその人のトライしている量を超えればおのずとその人の成績を超えられるはずだ。うまくいきだしても、トライする数を減らさず、むしろ2倍3倍に増やす。そして成績1位になったら、次は売れてない人からも学べ。慢心せず、成績が下の人からも話を聞いて売れない理由を考えて常に学び続けろ」と。
この白木のアドバイスを徹底して行ったところ、配属から約半年後に東海エリア777店舗の中で売上1位になることが出来ました。これが『Y.W.C.』入社後、最初の成功体験です。この成功体験が礎になり、そこからすべてこの方法で仕事に取り組んでいます。
ただ、成功を掴んだあと、すぐに挫折も味わいました(笑)僕がトップセールスマンになって数か月が経った頃、家電量販店の責任者から「お前もう明日から来なくていい」と、出入り禁止を言い渡されたのです。
思い返してみると、当時の僕はとても調子に乗っていました。「売り上げを上げているのだから問題ない」と挨拶すら、まともにしなくなっていたんです。
出入り禁止は、そんな図に乗った僕の態度を見かねての判断でした。
今振り返れば、若気の至りの最悪な態度でした。出禁をくらうのも当然だったと思います。
当時、この家電量販店は主要取引先だったので、今後どうしていこうかと落ち込んでいました。
そんなタイミングで、東京支社立ち上げの話が出たのです。もう名古屋での仕事がないなら怖いものなしというか、東京支社立ち上げを成功させて、もう一度やり直したいという気持ちで、迷わず手を挙げました。
東京支社立ち上げ。1日1食100円マックの日々
2013年、入社2年目、当時23歳。縁もゆかりもないはじめての東京で、右も左もわからない状態からのスタートでした。
実際、それまで、関東方面はディズニーランドしか行ったことがなかったくらいですから(笑)支社の立ち上げから数か月間は1人だったので、支社長という肩書も特になかったような状態でした。
池袋に近い雑司ヶ谷という駅に住みました。家賃7万円の安いアパートに暮らしました。愛知県の名古屋が本社だったので、東京にはお客様ゼロの状態からのスタートでした。名古屋時代のお客様を当たっても、東京は管轄が違うからと紹介も頼れず、自力で新規顧客開拓に努めていましたね。
支社立ち上げの際に、会社から出た費用は家の初期費用のみ、その後の給与は自分で稼ぐスタイルでした。
当時1日の売り上げが8,000円~1万円だったので、給料は7~8万円でした。家賃の支払いが7万円だったので、1か月で自由に使える金額は1万円くらいだったんです。なので、極限に食費を削るべく、1日1食100円マックの生活を約2か月続けました。
100円マックを注文して、水は無料でもらい、マックのパンに水につけて少しでも膨らませてお腹を満たしていました。1日1食噛みしめて食べていました。本当に極限の「生きるか死ぬか」の状況状態まで自分を追い込んでいましたね。
大変でしたが、名古屋には帰れなかったですね。東京で一旗揚げてやるって大口叩いて地元を出てきてしまった手前、すぐ帰ったら恥ずかしいですから(笑)でも、僕には新卒時の建設会社での過酷な労働経験だがあったのでそれが糧になって踏ん張れました。
新規事業「ウォーターサーバー販売事業」の大成功
その後、基盤も売り上げも整ってきたので、新しい事業に挑戦してみたいと思うようになりました。そこで、家電量販店で売り上げが伸び悩んでいたウォーターサーバーの代行販売に着目。とにかく新規事業に挑戦したい一心だったので、「家電量販店や営業代行の知識やノウハウは誰にも負けません!」と言って仕事をいただきました。
しかし、社内ではウォーターサーバーの販売は反対されていたんです。ウォーターサーバーは仕組みがシンプルで、使い方も魅力も世間が一定に認知しているため、販売が難しいという理由からでした。
でも僕はそこで諦めたくなくて、会社や代表に「見ていてください!成し遂げます!」と、サーバー事業に取り組むことにしました。コツを掴むまでは1人で行い、その後ノウハウを共有して30人程のチームで販売していきました。僕たちが担当する前の月間最高売り上げは、約500台。最終的には、その売り上げの3倍である1500台を達成することができました
社内初の社内起業家としての挑戦
ウォーターサーバー販売事業の成功もあり、東京支社立ち上げから3年で年収がはじめて1,000万円を超えました。僕は探り探りの状態でのスタートだったので、時間が少しかかってしまいましたが、今では最速で入社から半年で年収1000万円目指せる環境がY.W.C.にはあります。
社長賞で1000万円とかもありますし。僕が1000万円稼いだ当時は、MVP賞10万円とかでしたから、今の方が年収1000万円超えやすい環境で少し羨ましいです(笑)。
2020年6月から西日本エリア統括に就任し、西日本(関西、中国四国、北陸、九州、沖縄)を管轄しています。東日本エリアでもっと上のポジションにつくより、あえて、自分が今まで管轄したことのないエリアを見ることで、より難しいハードルを越えられると思いチャレンジしました。
西日本を統括する傍ら、社内起業家としても挑戦させてもらっています。
社内起業家に挑戦することになったのは、あるフランチャイズのテイクアウト専門店であるピザ屋を紹介してもらったことでした。
そのピザ屋は20年の歴史を持ち、5店舗展開していたのですが、そのうちの駅ナカにある1店舗を繁栄させ、今後もお店を残していきたいと悩んでいたのです。その想いに応えるべく、経営を引き継ぐことになりました。
実績としては、ピザ100枚(1日)販売達成して歴代の月間売上売僧を初月で抜き、クリスマスの2日間には700枚の販売達成しました。大きい変革でいうと、給与システムを、Y.W.C.で採用しているジョブ型雇用をモデルに、利益変動型に変更しました。それにより、販売員のモチベーションを上げることに成功しました。また、店舗責任者へのマネジメントは、直接面談や、日々SNSツールを使ってコミュニケーションをとりながらこまめにフォローをしています。
この経験がきっかけで、地元名古屋でも1店舗テイクアウト専門の弁当屋も経営しています。僕はひとつのことを達成すると、より難しい壁を上りたくなるんです。
社内で初の取り組みだった社内起業家も、自分がはじめてみることで、『Y.W.C.』の新しい未来につながれば嬉しいなと思ってやっています。
起業もただ単に自分の稼ぎを増やすための副業として位置付けているのではなく、今後の会社と自分の成長のために取り組んでいる感じです。
働くことが楽しいという気持ちはついに究極の境地へ
年を重ねると、休日、旅行や遊びに行っても、若い学生時代のときほどの楽しい!という感情ってだんだん薄れていきませんか?休日楽しむのも限界があるというか、徐々に目新しい場所・ものが減って慣れてきてしまうというか。
なので、僕はせっかく働くなら、週7日のうち、週5日の働く時間の方を楽しくしていきたいです。今の僕にとって、どちらかといえば、仕事しているときの方が非日常で、ワクワク楽しむ時間になっています。それは常に新しいことにチャレンジしているから楽しいのだと思います。
Y.W.C.は「やりたいことをどんどんやって、どんどん吸収していこう」という会社です。
今でこそ大企業でも副業が解禁されていますが、設立当初から副業OKにしていて、給与体系も年功序列ではなく、いわゆる「JOB型」で、成果をだした分だけ評価されるしくみになっています。
好きな時間に出社可能など、自由な社風ではありますが、社員は仕事を任せてもらえるからには、絶対結果をだします!という気持ちで妥協せずに取り組んでいます。年商100億円を目指して、積極的に人を増やしているので、少しでも興味をもってくださった方はぜひ、お会いしたいです!