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インタビュー

内定式の前日に内定辞退して芸能界へ/タレント・海江田麻貴さん

大学在学時に就職活動を行ったものの、内定辞退して芸能の道へ進んだタレントの海江田麻貴さん。

みんなと同じように就職するべきか、不安があっても自分のやりたいことを貫くのか…。ハレダスではフリーランスやインフルエンサーなどの方にもインタビューしていますが、さまざまな働き方がある時代だからこそ悩む学生の方も増えているのではないかと思います。

人と違う道を選んだ海江田さんのこれまでの歩みや、仕事に対する想いなどをお聞かせいただきました。

●プロフィール
海江田 麻貴(かいえだ まき)/タレント・モデル・リポーター
1996年9月24日生まれ、鹿児島県出身。
鹿児島県鶴丸高校、立命館大学スポーツ健康科学部卒。
主な出演は朝日放送テレビ「やすともの恋愛島」、奈良テレビ「ゆうドキッ!」など。
特技:書道(特待生)
趣味:ホットヨガ、ダイエット、スポーツ観戦、カフェ巡り
Twitte:@_makiii0924_
Instagram:@_makiii0924_

勢いでモデルスクールに入った大学時代


現在タレントとして関西のバラエティ番組などで活躍されている海江田さん。まずは芸能界を志したきっかけについてお聞きしました。

大学2年生の時に初めてE-girlsさんのライブに行ったらメンバーの皆さんがすごくかっこよくて。みんな可愛いのに腹筋バキバキだったりするんですよ。

それを見て、私もこんな風に同性に憧れられるような女性になりたいと思ったのが芸能に興味を持ったきっかけです。

さらにその後「関西コレクション」を見に行き、そこでモデルをやってみたいなと。その直後に勢いでモデルスクールに入ったのが最初の一歩でしたね。

かっこいい女性に憧れて動き始めたことから、タレントとして何か女性の力になれるような活動をしたいという想いをその頃からずっと持ち続けています。

就活を通してやりたいことに気づいた

大学在学中にモデルスクールに入ったということですが、就職活動はどうされていたのでしょうか。

当時はまだ芸能界でやっていくと決めきれてはいなくて、モデルスクールに入りながらも就職活動はしていました。ちょうどコロナの直前でまだ売り手市場の時期でした。

就活の一環で自己分析をするじゃないですか。その中で自分のやりたいことについて考えていたんですが、応募する業界がアパレルとか、人前に出る機会がありそうな仕事ばかり選んでいたんですよね。

面接を通して話すことが好きな自分に気づいたりとか。就活するほど、やっぱり芸能活動をしたいんだという気持ちが浮き彫りになっていった感じでした。

周りを見ていると、大学生活の中でサークルとかバイトとか頑張っていて、自分は暇しているだけで何もないという気持ちがあったんです。

そういう思いもあってモデルスクールに入ったんですが、身長が160cmしかないのでモデルのオーディションには受かりにくくて。

でもラジオとか、喋るのがメインのオーディションだと通ったりしてたんですよ。それもあってますます自分は喋るのが好きなのかもしれないと思って。

最初はモデルをやりたくて芸能界を目指しましたが、こだわらずに何でもやってみたいなと思うようになりました。

最初の仕事は無人島での過酷なロケ


就職活動を通して自分のやりたいことは芸能界にあることに気づいたとお話ししてくれました。そこから本格的に芸能活動を始めたのはいつ頃だったのでしょうか。

事務所に入ったのは大学4年生の11月でした。内定が出ていたんですが、内定式の前日に辞退の連絡を入れました。

事務所に入ってからはとにかくたくさんのオーディションを受けました。事務所からは「有名大学の女子大生でいるうちにたくさん受けよう」と(笑)。

その中で最終審査まで残って落ちてしまったオーディションがあったんですね。それがすごく悔しくて、そこから本気度が増した感覚がありました。

事務所に入って1年ほど経った頃から徐々にお仕事をいただけるようになってきましたが、最初はなかなか決まらなくて。

はじめは就職した同級生が初任給で親に食事をごちそうしたりしているのをSNSで見て、自分と比べて辛い気持ちになることもありましたね。

一番最初にいただいたお仕事は今も忘れられない経験です。「やすともの恋愛島(朝日放送テレビ)」という番組なんですが、無人島を舞台にした恋愛リアリティーショーで、2泊3日のロケだったんです。

いつどこで誰に恋愛感情が芽生えるか分からないので、普通なら映さないようなオフの会話の様子とかも常に撮られているという特殊な環境でした。

しかも無人島でのサバイバル生活でもあるので、食べ物は自分たちで獲った物しか食べられないんですよ。全部をガチでやっていたので本当に過酷なロケでした。

そこで思った以上に現場にはたくさんのカメラがあることや、実際の放送を見た時に編集によってこんな見せ方ができるんだということなど、テレビの面白さを感じました。

今となってはそんな過酷なロケがデビューのお仕事で良かったと思っています。最初に大変な思いをしたからこそ驕らずにいられるというか、あの時の経験を思えばどんなことでも頑張れるので。

ライブ配信を頑張っていた時期

ちょうど海江田さんが芸能界デビューされた直後あたりからコロナウイルスが流行しましたが、お仕事への影響はあったのか気になります。

緊急事態宣言が出ていた頃は意外とそこまで影響はなくて、私の場合はそこから一年後くらいにお仕事が減ってきました。

お仕事が少なくなってきてからは、ライブ配信アプリで配信を始めました。視聴者さんの相談に乗ったり、その日あったことを話すなどのフリートークの練習のつもりでやっていました。

配信は一年半ほどやっていたんですが、今はやっていません。

使っていたアプリでは常にランキングで競い合うような形だったので緊張感がずっとあって。負けず嫌いな性格が裏目に出て、ストレスが溜まってついには食欲不振や不眠の症状まで出るようになってしまって。

頑張りすぎて心と体が追いつかなくなってしまったので配信をやめようと思いました。体調にまで異変が出て、そこまでしてやるべきなのか?って疑問に思い始めて、一時は芸能活動自体を続けるかどうかまで悩みました。

苦境を乗り越えて力を抜くことを覚えた

ストレスが体の症状として現れるまでに…。芸能界そのものを辞めるかどうかまで悩んだということですが、そこからどうやって立ち直ったのでしょうか。

そんな時、あるオーディションを受ける機会があったんです。もう仕事を辞めるかどうかというところまで悩んでいたので、何だか開き直って受けるような気持ちになって。

それで受けてみたら受かったんですよ。きっと気負わずに挑んだのがよかったのかなと思います。それまでの頑張り方よりも肩の力の抜き方をそこで覚えたような感じがありましたね。

そこで合格したオーディションをきっかけに、楽しく生きようという今の考え方に落ち着きました。

ライブ配信をやっていた頃は、就職しなかったことで親に申し訳ない気持ちがあって無理してしまった部分もあったと思います。

その頃は友達と会ったり実家に帰るよりも仕事や配信を優先していて、この生活って楽しくないなと気づいたんです。

プライベートの趣味がなくて面白くない人間になってると思ったので、そこからヨガを始めました。競馬やアニメ、アイドルも好きになって。

この辛い時期を経たことで仕事とプライベートのバランスを取れるようになったので、今は毎日が楽しいです。

よく相談に乗ってくれる叔父さんがいるんですが、その人に「頑張るんじゃなくて、顔が晴れると書いて“顔晴(がんば)る”くらいのゆるさでがんばろう」という言葉をもらったんです。頑張りすぎてもよくないなと、その言葉を大事にしています。

人の人生や熱い想いに触れる仕事


頑張りすぎて苦しい時期があったからこそ程よく力を抜けるようになったんですね。そんな海江田さんにとってのお仕事の楽しさについてもお話しいただきました。

「ゆうドキッ!(奈良テレビ)」という番組で担当コーナーを持たせていただいているんですが、グルメロケが主な内容なんですね。食リポをしたり、お店の方のお話を伺ったり。

コロナの逆境の中で頑張られているからというのもあると思うんですが、皆さん根性が並大抵じゃないですし、人と人の繋がりを感じられ、温かい気持ちになります。そんな人たちの人生に触れられることに面白さを感じています。

人の熱い想いに触れることって普段はそんなにないじゃないですか。でもそれを初対面で聞くことができるので、素敵なお仕事だなと。

大学がスポーツの学部だったので、いずれはスポーツ選手の方にも取材してみたいなと思っています。

タレントになってからさらに人が好きになりました。この子と話していると楽しいなと思われるようになろうと思ったんです。

興味を持ってくれない人と話しても誰も楽しくないと思うので、人に興味を持つことを最初は意識してやっていたんですが、それが自然と身についてきました。

そして自分を客観的に見れるようになり、努力の仕方も少しずつ分かってきた気がします。

あとはスタッフさんに、どういう子だと仕事がやりやすいかを聞いてみたことも(笑)。そこで聞いたことを取り入れてみたりとか、自分なりに試行錯誤してきました。

この業界でそのお仕事をするのが自分でなければならない理由を作り続け、必要としてもらえるように努めています。

最初の頃は事務所の人などに色々と意見されることが多くて反発心のようなものもあったんですが、人の意見を受け入れるようにしようという考えに変わっていきました。

元々ギャルっぽかったんですが、髪の色とかを言われた通りにしてみたら評判がよかったりして。最初は尖っていたんですが、徐々に丸くなってきましたね。

スポーツのリポーターをやってみたい

お話を聞いていると、努力や工夫を惜しまない方なのだなと感じられるエピソードばかり。常に高みを目指している印象ですが、今後の目標や憧れはあるのでしょうか。

憧れている方で言うと、同じ事務所の池田愛恵里さん。

セレッソ大阪スタジアムMCをされているんですが、チームや選手に寄り添った取材をされているんですよ。試合の時に泣いている姿を見たりすると、私もスポーツと関わってそんな仕事をしてみたいって思います。

人が好きでスポーツも好きなので、その融合というか、どこかのチームのリポーターをやってみたいんです。少なくともそれが叶うまではこの仕事は辞められないですね。

自分で決めることで言い訳できないように


最後に、就職以外の道を選ぼうか迷っている方に向けてメッセージをいただきました。

私はこの道を選んでよかったと思っています。誰に頼まれてやったわけでもないので多少しんどくても頑張れているんです。

もし親の言うことを聞いて就職していたら、しんどい時に親のせいにしていたかもしれません。

人に相談するのもいいと思いますが、あくまで最後に決めるのは自分。

自分で決めたことだから言い訳できないし、いい意味で逃げられないようにした方がいいと思います。

私は親に対していつも事後報告のスタンスなので、就職しないことは内定を辞退してから報告しました。

驚かれましたが、やると決めたらやるタイプだと知っているので黙って見守ってくれました。きっと沢山心配をかけたと思いますが、寛容な両親に感謝しています。

親孝行としては、自分の好きなことを好きなようにさせてくれた両親に恩返しとして、たくさん贅沢をさせてあげたいとか、旅行に連れて行きたいというのもずっとありますが、まずは元気で楽しく仕事していることを知ってもらうことが今できる一番の親孝行なのかなと思っています。

私の場合は表に出る仕事なので、やっぱりテレビなどに出ている姿を見せることが今は一番の親孝行になると考えています。

地元の鹿児島では関西の番組は見られないので、全国ネットの番組に出て見てもらうことが目標の一つです。

友達などからは「頑張っている姿をテレビで見ているから私も仕事を頑張れるよ」と言ってもらうこともあって、そういった周りからの反響が励みになっています。

最初は安定した企業で働いている友達を羨ましく思うこともあったのですが、落ち込んでいた時期に改めて友達を大事にするようになって、一般企業などで働いている友達と話すことで元気になったり。

どんな仕事でもみんな頑張ってることには変わりないので、全ての仕事にリスペクトを持っています。

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Written by

トヨダヒロミ

トヨダヒロミ

大阪府出身。雑誌や広告を制作する編集プロダクションに約7年勤務したのち、フリーライターに。インフルエンサーなどの新しい肩書きや働き方に関心を寄せている。

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