「飲食業界には正直ね、悪い印象しかなかったんですよね」
大阪・守口市にある人気焼肉店「牛の助 肉之進 大日店」で肉長(店長)を務める下村海さんは、高校卒業後にフリーター生活を経て、憧れのアパレル業界へ。東京で店長にまで上り詰めるも退職し、「悪い印象しかなかった」飲食業界に飛び込んだユニークな経歴の持ち主です。
下村さんが飛び込んだ「株式会社 A STORE PLANNING」は1992年に設立。
京阪沿線を中心に、鉄板鍋専門店や焼肉店、スペインバルなどさまざまなジャンルの飲食店を15店展開しています。
代表の木下浩行さんは、コント職人であるTKO・木下隆行さんのお兄さんとしても知られ、多数のメディアに出演。代表の知名度と個性豊かな味わいで、どのお店も高い人気を誇っています。
入社から4年経った今では「飲食業界には良い印象しかありません(笑)」と話す下村さんに、入社までの経緯や飲食業界の楽しさ、厳しさなどを教えてもらいました。
自分を曲げないマジメさで憧れのアパレル業界で店長に
恥ずかしながら、夢があったんですよ。歌手活動をしていまして。ボイストレーニングに通ったり、会場を借りてライブをしたり。あがり症なんで、しょっちゅう歌詞を飛ばしていましたけどね。
つけ麺屋さんでアルバイトをしながら、3~4年歌っていました。その頃は自分の経験の浅さや知識の無さからやりがいを感じられず、飲食業界は自分にはちょっと合わないかなあと思ったんですよね。
あがり症なのに、好奇心は旺盛で。歌も好きだったんですけど、服も大好きだったんです。特にストリート系の某アパレルブランドが好きで、面接を受けてみたら受かったんですよ。
神戸のアウトレットの店舗だったんで、交通費だけでも月4万円ぐらいかかったんですけどね。全身そこの服を着てアピールしたのが良かったのかも(笑)。
閉店するまで2年ほどアルバイトとして働いたんですけど、すごく楽しかったですね。店長が休みの時は責任者をやらせてもらって。任せてもらえるようになったのは、くそマジメだったからですかね。自分で納得のいくようにきちんとやらないと我慢ができない性分なんですよ。
たとえば試着されて似合ってなかったら、正直に「似合ってないですよ」って。もちろん「こっちならいい感じですよ」ってしっかりフォローもしていたので、逆に信頼されて。売り上げにも繋がっていった感じですね。
で、アウトレット店が閉店する時に「東京に来る?」って社員の方に声をかけてもらって。最初はアルバイトからでしたけど、渋谷の直営店で契約社員として働き出しました。
上京するのに迷いはなかったですね。僕、ミーハーなんですよ。東京に行ったら、芸能人に会えるんじゃないかと。あがり症で好奇心旺盛でくそマジメでミーハー(笑)。
好きでずっと聴いていたミスチルの桜井さんに会えた時はうれしかったですね。その時はもう歌手活動はやめていましたけど。
仕事の方は終電まで働いたりとマジメさを発揮して、すぐに社員に登用されました。順調だったのですが、ある時「前橋店の店長にならない?」って話をいただきまして。「群馬!?」って感じでしたね。田舎だからイヤだったわけじゃなくて、ヘルプで入ったことがあったんですけど、めちゃくちゃヒマなお店だったんですよ。もしそこで店長になったら、刺激がなさすぎて死ぬなあと思って。
で、断ったら、キッズ向けのお店に異動に。デパート内の店舗だったので、ルールもガチガチで。自分を曲げない接客も自由にできないですし、ただ忙しくて数字に追われる毎日でしたね。
元のお店に戻してもらえることを夢見て3年ぐらい耐えたんですけど、徐々にこのままでいいのかなって思いが強くなり退職を決意しました。
WEBで応募する友人の誘いを受けて飲食業界に転身
大阪に戻ってからは失業保険をもらいながら就職活動を半年ほど。
ずっと土日に働いてきたので今度は普通のサラリーマンになりたかったんですけど、なかなかうまくいかなくて。焦りはじめたころに、当社の系列店で働いていた古くからの友人に「一緒に働かない?」って誘ってもらったんですよね。
実はつけ麺屋さんでアルバイトしていた時に今の代表にもお会いしていて。代表は社員やアルバイトとの距離が近いというか、スタッフのことをちゃんと見てくれるって印象で。大きなアパレルでは感じられなかった温かさに惹かれて入社することに決めました。
自分のことをくそマジメって言いましたけど、反骨精神みたいなものが強いんですよ。怒られてもヘコむのではなくて、見返してやろうってなる。働き始めたら、飲食に合ってるのかもって思いましたね。
職人肌の人も多くて、ミスしたら無言で威圧されたことも。腹立つなあって。まあ、ミスした自分が100%悪いんですけどね(笑)。見返すためにまずはドリンクからしっかり勉強して覚えて。少しずつミスをなくしていきました。
3か月ほどの試用期間を終えて社員に。そのころはただただ必死でしたね。「牛の助 肉之進 大日店」がオープンすることになって、前の店長と一緒に社員としての日々が始まりました。
試用期間中は魚介系のビストロだったので、メニューに関してもまたイチから。お肉のことも全然知らなかったので、店長に教えてもらいながらメモを取って覚えていきました。
基本は接客でしたね。当時はお客様に自分の名前を覚えてもらうことを第一に考えてがんばっていました。店長よりもお客様と仲良くなりたかったんですよね。
お肉のことを教えてもらったりすごくお世話になっていたのに、ライバル視していたと言うか。いつか追い抜いてやろうと必死すぎて、自分のことしか考えてなかったんですよね。反骨精神が強すぎて、人に興味がなかったんです。
仕事では楽しくできるんですけど、プライベートまでは関わりたくないというか。アルバイトさんにも普通に「(あなたに)興味ないから」って言っていましたから。
ベテラン指導員との出会いが変わるきっかけに
変わったのは、店長が別店舗に異動になって、古株の方が僕の指導員として来られてから。めちゃくちゃ怒られたんですよ。「興味ないって冷たいわ」って。
最初はいつもの反骨精神で「なんやコイツ、仕事で見返したんねん」って思っていたんですけどね。10年以上の先輩に対して(笑)。
でも、その方は「昨日なにしてたん?」って毎日のように聞いてくるんですよ。で、僕から聞き出したことをアルバイトさんに伝えてくれているうちに、みんなとの距離が徐々に近くなっていって。気づいたら、休日も遊ぶぐらいアルバイトさんとも仲良くなっていたんですよね。アパレルとは違う距離感。
代表もお客様もスタッフもみんな距離が近いんですよ。当社には「学び」と「進化」という経営理念があるんですけど、まさにその通りでしたね。研修といった凝り固まった形でなく、現場で学ばせてもらっています。
半年ほど指導してもらった後に店長に就任しました。入社してまだ1年ぐらいだったので、不安の方が大きかったかも。大忙しだったオープン当初と比べるとちょっと落ち着き出していたので、売り上げも心配で。コロナも重なりましたね。
でも、そのころはスタッフとも仲良くなって、みんなついてきてくれてたんで。今まではしんどい姿を見せないようにしていたんですけど、みんなが寄り添ってくれるので肩の力を抜きながら前を向くことができました。
本部から売り上げ目標がくるんですけど、それとは別に自分で目標を立てたんですよ。数字をしっかり管理しましたね。
今までは仕込んでいたお肉がなくなってきたら入店をお断りしていたんですけど、そこをもうひと頑張りという感じで。なくなったのなら、もう一度仕込み直せばいい。自分で限界を決めないようにして売り上げを伸ばしていきました。
コロナに関しては対策を徹底して。換気はもちろんのこと、机や椅子など触れるものは都度アルコールで消毒したりとか、アルバイトさんも率先してがんばってくれています。
焼肉屋は常に換気されているから安心という風潮もあって、今のところはなんとか。アルバイトさんの生活を守ためにも、売り上げを落とさないように努力していきたいですね。
今は本当に仕事を楽しめています。お客様と仲良くなって、2人でキャンプに行ったりも。土日が休めないことなんてもうどうでもいい。体力的にはキツい面もありましたけど、やる気さえあればどんどん任せてもらえる環境なので、やりがいも大きいですね。
個人的には本当の意味で人を好きになれたことが一番の収穫かも。あがり症で好奇心旺盛でくそマジメでなにより人が好き。性格まで変えてくれた会社には感謝しかありません。飲食業界はねえ…、本当にいいところだと思います(笑)。
あとがき
好きなことを仕事にできるのが理想かもしれませんが、興味のない仕事でも会社に魅力があって、“くそマジメ”に向き合えば新しい自分に出会えることも。業種へのこだわりをいったん横に、視野を広げて職を探してみるのも幸せな未来をつかむ一つの方法かもしれませんね。