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インタビュー

転職支援の定着率90%。キャリア形成のプロが教える、“やりたいこと探し”の落とし穴から抜け出すたった2つのヒントとは?

■プロフィール
宇都 裕昭(うと ひろあき)
1975年、兵庫県生まれ。高校卒業後、大手鉄鋼会社を経て、組織・人事・労務専門の経営コンサルティング会社へ転職。
様々な業種の経営支援に携わった後、2人の共同経営者と飲食専門コンサルティング&外食事業を主軸とした会社を設立。人材事業部の分社化に伴い、子会社の代表取締役に就任。
飲食業界で働く人、働きたい人を対象に「飲食人キャリア」、短期調理スクール「飲食人大学」、資格取得支援「飲食人ライセンス」、情報発信「飲食人グローバル」、海外就職など「飲食人」サービスを展開する。
その後、2018年に代表取締役を退任。東証一部の飲食IT系企業の子会社スタートアップ支援を行った後、2020年に株式会社BRINGUPを設立。同時期にYouTube「ウトウトチャンネル」を開始。

新型コロナウイルスにより窮地に追い込まれる飲食業界。そんなコロナ禍において、希望ある未来を描き、飲食業界に光を照らす宇都裕昭氏。

飲食で働く人や働きたい人のキャリアサポートに従事してきたなかで、プロデュースした寿司店がミシュランガイドに掲載され、本を出版するまでに注目を集めています。

しかしながら、過去には将来の不安から現実逃避した無職時代も。「僕の人生、一体どうなるんだろう?という不安しかなかった」と語る宇都氏が見つけた働き方の新しい視点とは?

社長になるはずが一転。“何者でもない自分”から逃げてアルバイト生活

家業を継ぐ予定が気付けば20歳で高卒のフリーターに…。まさしくゼロからのスタートでした。高校生のときに描いた将来の夢は、実家の鉄工所の社長。卒業後は家業と関連のある鉄鋼会社に迷わず就職しましたが、実はこの決断が甘かったんです。

通っていた高校は進学校で、99%の人は大学へ進学。就職組は僕を含めわずか2人のみでした。当時の僕は社会に出ることが不安で、毎日働くなんてイメージできませんでした。

「就職は単なる通過点だから」と言い訳をして、呑気なサラリーマン生活を送っていました。だから、仕事も受け身。ご飯を食べるために働いていたようなもの。それから2年が経った頃、親父は僕が家業を継ぐことに反対していると知ったんです。それはもう愕然としましたね。

家族経営だったのですが「身内で会社を経営するしがらみを感じて欲しくない」と言われて。

将来の夢は一気に白紙になり、“何者でもない自分”に転落してしまいました。鉄鋼会社で働く意味も見出せず、結局は20歳で退職してフリーターに。

その後はアルバイトをしながら、時間があれば飲み歩いたり、旅行に行ったり。バイクで北海道を1周したこともありました。将来への不安を見て見ぬふりをする毎日。

現実逃避を繰り返すうちに、あっという間に1年が過ぎてしまいました。

危機感を原動力に未来への一歩を踏み出せた

同年代が大学生活を満喫するなか、変わらず続くアルバイト生活。そんな生活から抜け出せたのは高校時代からの親友のおかげなんです。

親友の父親は会社も経営する著名な経営コンサルタントでした。「今後の仕事や君の人生において、大学で学べる以上に多くのことを教えてあげる」と声をかけてもらったんです。

現状を変えるためにと決心し、茶髪の世間知らずの若者から一転。先生の秘書兼カバン持ち兼運転手を任されることになりました。

当時のスケジュールは朝4時に起床して5時にお迎え、1日フルで先生の講演や商談に同行して22時に帰社。そのあと喫茶店でその日を振り返りながら、レポートをまとめて先生に提出していました。

先生からは「毎月1万円分の本を買って読むと良いよ」と言われていたので、自分の給料から工面して本を読み漁るように。

特に会社の専門分野である人事と経営を中心に、深夜まで本とにらめっこ。聞きもしない数々の専門用語を前に、当時は本の内容も全く理解できませんでした。

カバン持ち、レポート制作、毎晩の読書。どれも愚直に取り組めたのは将来への危機感が強かったから。

「知識もスキルもない高卒フリーターのままじゃやばい!」と、少しでも何かを積み上げることに必死でした。でも、今となっては中途半端に親父の事業を継がなくて良かったなと。

人間って道が閉ざされたり何かを失ったり、窮地に立たされることで強制的に前に進もうとするじゃないですか? 危機的な状況が人生の推進力になりましたね。

結局、はじめの3年間は秘書兼カバン持ち兼運転手の業務しかできませんでしたが、4年目から徐々に仕事を任せてもらえるようになりました。

そして、5年目以降でようやく 1人前のコンサルタントと呼べるように。この時期のキャリアが僕の人生のターニングポイントです。

自ら出店・経営した寿司店がミシュランガイドに掲載

コンサルタントの仕事を通じて出会う経営者は、僕が想像するよりもごく普通の方々ばかりでした。他人の目を気にしすぎる人、商談中に手が震える人、下世話な話しかしない人なんかも。

でも、皆さんに共通していたのが楽しそうに働き、新しい事業を生み出す姿。その姿に憧れを持つと同時に、失っていた将来を再び描き始めるようになりました。

ちょうどその頃、大手飲食経営者の方から「コンサルタントとしていくら理論は理解していても、それは机上の空論。実際にやってみないと分からないものだよ」と指摘されたこともありました。

その悔しさが今のルーツなんです。「飲食業界の経営者になる」と決意しました。

まずは先生の会社を辞めて、26歳の時に飲食専門のコンサルティング会社へ転職。転職先で出会った中途採用の同期と飲食専門コンサルティング&外食事業の会社を創業しました。

1年目は飲食店へのコンサルティングや自社の店舗展開を。2年目には僕の専門領域である人材分野に参入して、主に紹介予定派遣業を拡大していきました。

転職支援を通じて、飲食店で働く人、働きたい人、いわゆる飲食人と向き合う日々。当時の飲食業界では20代の離職率が1年以内で50%前後でしたが、僕の会社で担当した転職支援の定着率は90%を超えていました。

ただ数字だけでは納得できません。多くの飲食人と出会う中で感じたのは「もう少し調理技術があれば、希望する転職も叶うはずなのに」という想い。この些細なきっかけが、本を出版するに至った『飲食人大学』のすべての始まりです。

飲食人大学は3ヶ月の短期間で調理技術を学べる学校です。そこで僕が最初に目を付けたのは、一流を目指すなら“飯炊き3年、握り8年”と語られてきた寿司職人。

2015年頃、当時はホリエモンさんの「寿司職人が何年も修行するのはバカ」という発言もありましたね。さらに、寿司職人の技術を学んだ次のステップとして、実際に働ける場所も提供したいと考え、大阪市内に寿司店をオープン。

なんとその店がミシュランガイドに掲載されることに! 雑誌やテレビなど各メディアで取り上げていただくと同時に、飲食人のキャリアに貢献できたことが嬉しかったですね。

当たり前に流されず“常識を疑う”。事実と解釈を整理して未来を切り開く

飲食人大学の経験を通じて僕が気づいたことは、“常識を疑う”ことの大切さ。

寿司職人で言えば、長い下積みが必要だという世間の当たり前を疑うこと。誤解されがちですが、修行がいらない訳ではありません。長くムダな時間を過ごさずとも、大切なことを見極めて鍛錬すれば、短期間で寿司職人になれるということです。

常識とはみんなが当たり前だと思っていることであり、空気があるように、その状態を全く疑いもしないこと。常識は皆さんの中にも存在するものです。

「これが常識だ」と勝手に解釈するのではなく、「こんな可能性もあるのでは」と常識にとらわれないことがビジネスのチャンスになり得ます。

“常識を疑う”ためには「事実」と「解釈」を明確にすることが重要です。皆さんも上司から「君の解釈ではなく、事実としてクライアントが何と言っていたのか教えて」と指摘をもらうことありませんか? 情報を受け取ったときに、人は無意識に主観で解釈してしまう生き物です。

せっかく成功する人の真似をしたり、アドバイスを取り入れたりしたにも関わらず、失敗することがありますよね。このほとんどは事実を見極められていないことが原因でしょう。

せっかく行動しても、間違った解釈では正しい結果は得られません。その結果、諦めてしまうことや挫折することもあります。身動きが取れなくなった時こそ、受け取った情報やあなたの心の声でさえ疑いながら、事実と解釈を整理してみてください。

次に何をすべきか、何がしたいのか、一歩先の未来が見えてくるはずですよ。

夢中の始まりは努力から。やりたいことより目の前の“やりがい”を大切に

高卒のフリーターからコンサルタントを経て経営者へ。仕事を楽しむためには努力が必要だと、働き方をアップデートできたのは多くの経営者の光と影を同時に見れたおかげです。

天才なんてごく一部しかいません。成功者に見える人も実はみんな普通で、苦労や困難を乗り越えるために努力を惜しまなかっただけなんです。

経営誌やネットメディアで目にするインタビュー記事で経営者について語られているのは、ほとんどが光の部分のみ。

現代の情報社会では、いつでも多くの情報にアクセスできるため、気づかぬ間に成功者の光ばかり見ている可能性が高いです。

さらに生産性・最適化・効率化が求められる仕事においては、情報の取捨選択がより顕著となり、光にしか目を向けられないのも仕方ありません。

情報の事実を把握しないまま都合の良い解釈が生まれ、成功者の影の部分に気づく余裕が失われているのです。

その結果、「楽して成功したい」または「楽して成功できる」と考える人が増えたのではないでしょうか。もちろん無駄を省くことは大切です。

ただ、成功しているほとんどの人は過去に苦労や挫折を味わっています。それを知っているからこそ、より良い未来を歩むためには新しいものを吸収することや諦めずに継続する努力が必要だと考えるようになりました。

「夢中になれることを探しなさい」という言葉もありますが、夢中になるまでの道のりには努力は欠かせません。「自分にできることはなにか?」「自分がやりたいことはなにか?」と考え、その仮説を行動により検証するプロセスが隠されているはずです。

さらにもう1つ、働き方のスタンスにおいて大切にしているのは、“やりがい”があるかどうか。

転職したい方からは「やりたいことが分からない」と相談を受けますが、僕自身も初めはやりたいことなんてありませんでした。というより、今も特にありません。あくまで大切にしているのは、「やりたいこと」ではなく「やりがい」です。

飲食人大学を創立するきっかけも、目の前には転職で悩む飲食人がいて、その人にもう少し調理技術があればと思ったから。

「常識を疑うぞ!」と意気込んで新しいことに挑戦した訳でもありません。飲食人のキャリアサポートの仕事にやりがいを見出して、全力で取り組むことで色んなアイディアが生まれ、様々なビジネスを生み出せるようになりました。

コロナにより飲食人の働き方は多様化。そのキャリアに貢献することが僕のやりがい

2020年に飲食専門の転職支援&人事コンサルティング会社「BRINGUP」を創業。コンサルティングから経営に至るまで広く飲食業界に携わり、今はまたイチから飲食人のキャリアサポートに従事しています。

飲食業界は常に人材不足の問題を抱えてきました。その理由は、会社であれば昇進するポストがなく、個人店であれば次のステップが見えない…。

つまり、飲食人として働き続けるキャリアイメージが描けないため、飲食人を志す人が少ないという悪循環によるものです。

過去にはある社長が「90%の社員に将来、活躍する場所を提供できない」と嘆いていたことも。これまでの飲食業界のビジネスモデルにおける根本的な問題でした。

最近は新型コロナウイルスにより更なる窮地に立たされる飲食業界。悲観的な考えも多いですが、僕はむしろ飲食業界が明るい時代に突入したと考えています。

それは飲食店というパッケージ以外で売上を生み出せる仕組みが普及したことで、飲食人の働き方に多様性が生まれたからです。

例えば、デリバリーやテイクアウトをはじめ、出張シェフ、ポップアップショップなど。これまでは一部の飲食人しかできなかったことも、今では多くの人ができるようになりました。

実際に様々なロールモデルが誕生し、店舗を持たずとも飲食ビジネスが始められる時代です。コロナ禍の今でも、常識を疑いながら飲食業界のより良い未来を描き、飲食人のキャリアをサポートし続けます。


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Written by

松田岳

松田岳

1992年生まれのフリーライター兼編集者。前の仕事は中途採用の転職エージェント。現在は採用・医療・グルメのジャンルを中心に取材から執筆まで担当しています。人生で大切なことは漫画とアニメが教えてくれました。

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