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インタビュー

「ピンときたら、すぐに行動」その繰り返しが『好きに生きる』に繋がる/油性ペンア−ティスト【elly(エリィ)】

「好きなことで生きていきたい!」と思っても金銭面や人脈などの問題から「私には無理かも・・・」と考えてしまい、なかなか行動に移せない方や、好きな仕事に就職できたとしても生活のために必死で働いていると、いつの間にか好きだったことが嫌いになってしまっていたという方など、「好きに生きることって難しい・・・」と思われている方は多いのではないでしょうか。

今回は現在フリーランスで活躍している、油性ペンアーティストのelly(えりぃ)さんに、アートだけで生きていけるようになった経緯や、過去の経験が現在の活動に活きたお話、また好きなことで生きたい方へのメッセージなど、詳しくインタビューさせていただきました。

「好きなことだけで生きたいけど・・・どうしたらいいのかわからない」と悩んでいる方にとって、この記事が“あなたらしい生き方”を見つけるキッカケになりましたら幸いです。

■プロフィール
elly(えりぃ)
・1987年生/大阪生まれ静岡育ち
・現在は大阪を拠点に活動中
・大阪芸大に進学後、父親の他界をきっかけに大福を手売りする営業職を始める
・飛び込みで営業したある会社の社長に気に入られ、アートパンケーキ屋「art&sweet cica(現在はATELIER CICA)」を運営し、関西テレビ「モモコのOH!ソレ!み〜よ!」「よ〜いドン!」など、多数のテレビ番組に紹介されるほど人気店に
・妊娠・出産を転機にart&sweet cicaを卒業し、油性ペンアーティストとして活動開始
・同時期、FMS inc. Design&Art Officeの代表取締役を務める

「やっぱりアートだけで生きていきたい」再確認する20代前半

■昔から絵を描くことが好きだったのですか。

はい!両親ふたりともアートが本当に好きで「絵が好きな子に育ちますように」という想いから「絵梨(えり)」という名前をつけてくれました。

小・中・高と「美術部」に通っていましたし、家では絵を描くこと自体が“当たり前”のように育てられたので、好きというか・・・私の大切な生活の一部みたいな感じですね。


■絵を描くことは生活の一部であるelly(えりぃ)さんが、どうして営業職をされたのでしょうか。

正直、私はおおざっぱな性格で・・・笑
芸大に通い始めた頃は、将来のことを深く考えることなく「なんとかなるだろう〜」と思っていました。

しかし大学1年生の終わり頃に父が亡くなったことで、家の金銭面が厳しくなったんです。

母親が仕事を増やしている姿を見て、長女である私も「家族のために、なんとか稼がなければ!」と思い、“頑張れば頑張るだけ稼げます!”というキャッチフレーズに惹かれ、完全歩合制の大福の手売り営業を始めました。

■アートとは真逆の営業職をしたことによって、学んだことやよかったことを教えてください。

道を歩いている方や路面にあるお店、また大手の会社に飛び込んで大福を売る仕事なんですが、これが全然売れなくて・・・。

完全歩合制なので必死で営業に行くのですが、行った先の相手に「怒られる」「無視される」のは当たり前の世界で、始めの頃は良く泣いていましたね。

けれども、そんな厳しい仕事でも“売れる人”っていて、その先輩たちの共通点が“常に笑顔でとっても魅力のある人”だったんです。

私もそんな魅力ある人になりたくって、“笑顔”と“元気”を意識しながら頑張っているうちに、だんだんと売れるようになっていったんです。そのときの達成感が、本当に嬉しかったのを今でも覚えています。

売れるようになってからは、後輩育成も進んで行うようになりました。後輩に教えることによって、新たに自分を見直すことができますし、教えた後輩達が売れるようになったときの喜びや達成感が嬉しくて、気づいたら2年もの間、その職場で必死で働いていました。

■営業でたくさんの学びを得たんですね。では、アートをしようと思ったのはいつ頃なのでしょうか。

営業をしていたときは絵を描く時間もなかったですし、「お金を稼ぐ」という理由があったので、絵のことは全く忘れていました。

でも、ある時、飛び込みで営業したデザイン事務所の社長さんに、私の絵を見てもらう機会があって「上手いよ!絵で食べていくことも考えてみたら?」とおすすめされたんです。

その方が本当に良い方で、当時梅田のNU茶屋町で開催していたアートコンテストを紹介してくださって・・・、本当に久しぶりに絵を描いて応募したら、賞を頂いたんです。

「絵を描くってやっぱり楽しいな」と、忘れていた気持ちを思い出させてくれたコンテストでした。

プラスして、大きな転機になったのが仕事中に起きた車同士の衝突事故ですね。

幸い、誰も怪我はなかったのですが、そのことがキッカケで「毎日フラフラになるまで働くのは長くできない・・・。やっぱり私は好きなアートを描いて、それだけで生きたい!」と強く思うようになったんです。

「悩むよりも動く!」飛び込み営業で学んだ“仕事の見つけ方”

■アートを描きたい思い、一番始めにとった行動を教えてください。

大福を手売りで売っていく営業の仕事は、私にとったら本当に本当に良い経験で・・・。

もちろん「アートだけで食べていくって難しいな・・・」と思うこともありましたが、それは「売れない大福をどうやって売ろうか・・・」と試行錯誤するのと同じで、「悩んでいても仕方がないから、とりあえず今できることから動こう」と思えるメンタルを持てたことが最大のメリットだと思っています。

そこで、まずは「私のアートを売ってみよう」と思い、大阪市内の路上で、すぐに使える紙袋にアートを描いて販売しました。

その時に取り入れたアートの技法が“油性ペンアート”。

路上ですので絵の具や水彩ペン、色鉛筆を広げることは大変だと感じたので、油性ペン1本あれば描ける“油性マジックアート”を見出したんです。


■いいアイデアですね。他にはどんなことをしていたのですか。

路上アート販売と同時進行で、当時、気になっていたアパレルブランドの会社に、自身のポートフォリオを持って、得意の飛び込み営業に行きました。

もちろん追い返されましたが、アートと私の電話番号を残して帰ったら、数日後その会社の社長さんから「君、面白いね」と電話がかかってきたんです。

そして「個展をしないか」と言ってもらい、その方のおかげで【紙袋✕油性ペンアート】の個展をさせてもらうことになりました。

しかし、その個展で周りの先輩アーティストさんや凄いディレクターさんと関わらせてもらうことによって、自分の今のアーティストとしての立ち位置の小ささを実感して、すごく落ち込みましたね・・・。

そして落ち込むと同時に「もっと動かないと!」と思い、ニューヨークで挑戦する決意をしました。

■凄い行動力ですね。「ニューヨークで挑戦」とは具体的にどんなことをされたのですか。

「誰でもニューヨークで個展ができる」という情報を知ったので、思い切って申し込みをしました。

本人がニューヨークに行くのは任意だったのですが、個展期間中にどうしてもニューヨークに行きたくて・・・。

行きの飛行機チケットと1万円を握りしめ、他は紙袋と油性ペン、ゴザを持ってニューヨークへ旅立ちました。

紙袋と油性ペン、ゴザを持って行ったのは、ニューヨークでの個展期間中に帰りの飛行機チケット代を稼ぐため。

ありがたいことに、ゴザを敷いてアートをすることがニューヨークの方からしたら珍しかったのか、思っている以上にアートが売れたのはびっくりしましたね。

その貴重な経験は、今でも私の中で強く刻まれています。

テレビ番組にも取り上げられた人気パンケーキ店「art&sweet cica(アート&スイート シカ)」

■ニューヨークで過ごされた後はどうされたんでしょうか。

今までの経験を糧に、デザイン会社に就職しようとしたのですが、パソコンが全く使えない私はデザイン会社には不向きらしく、不採用の連絡ばかり・・・。

ニューヨークで過ごした時間は貴重で、とても印象深い経験だったんですけど、経験だけ重ねても「アートで食べていく」には繋がらないという現実を思い知りました。

「本当にこの先どうしようか・・・」と悩んでいた矢先、ある社長さんが「パンケーキとアートを組み合わせたお店をしたいのだけれど、そこで店長として働かない?」と誘ってくれたことをキッカケに、私のアート人生が大きく変わったんです。

■「アート人生が大きく変わった」とはどういうことでしょうか。

そのパンケーキ屋は、パンケーキを乗せたお皿に“チョコペン”でお客様の希望のアートを描く、少し変わったスタイルのお店なんです。もともと油性ペンで描いていたものをチョコペンに変えただけなので、私にとっては、もってこいの仕事でした。

またその変わったスタイルが功を奏したのか、嬉しいことに口コミが広がり、大阪のローカル番組「モモコのOH!ソレ!み〜よ!」や「よ〜いドン!」にも紹介してもらったことで、連日行列続きの人気店に。

アート三昧の忙しい毎日でしたけど、そこで気づいたことは「私はやっぱり絵を描くことが大好き」ということ。忙しく大変な時もありましたが、本当に毎日が充実していましたね。



■art&sweet cica(アート&スイート シカ)について詳しく聞かせてください。オーダーしてからアートを描くには時間がかかると思いますが、どのように営業をしていたのでしょうか。

完全にオリジナルで始めたお店なので、私しかチョコアートができる人がいなかったため、人気店になればなるほどお店が回転しなくなりました。

そんな時に助けてくれたのが、お店のスタッフたち。

今まで、私ひとりで対応していたチョコアートを、スタッフたちも自分で出来るようにと、何度も何度も練習を重ねてくれたのです。

クオリティの高いチョコアートが出来るスタッフが増えたおかげで、質を下げることなく、人気店で居続けることができました。



■さらに接客が高評価だと聞きましたが、どのように教育されたのですか。

自慢ではないですが・・・私が育てたスタッフたちの接客は、本当に素晴らしいものだと今でも思います。

だけど、そこまで自信を持って言えるのも、私が営業職育ちだから。

お客様のことを大切にするとはどういうことか、どうやったら人として良い印象を与えることができるのか、また「来てよかった」と心から感動してもらえるようにするにはどうするのかなど、接客の基本を叩き込みましたね。

もちろんテレビの影響もありますが、覚えが早い優秀なスタッフばかりだったというのも、人気店になれた理由だと思います。

過去の自分が作り上げた結果が「好きなことで生きる」に繋がる

■人気店だったお店を卒業し、現在のフリーランスになったのは、どんなキッカケがあったのでしょうか。

お店でのチョコアートも好きだったのですが、「アートをもっと勉強したい」という気持ちが少しずつ大きくなってきたんです。そしてそんな時に、妊娠が重なって。

とは言っても、完全オリジナルで始めたお店であって、私の分身ぐらい大切な場所だったので、辞める選択をすることは本当に悩みました。

「この場所を辞めたら私がいなくなってしまうかも・・・」と不安に思ってしまうほど、このお店に私の全てを注いでいましたので。

それでも「この挑戦したい気持ちを無視することはできない」と思い、卒業することを決意しました。

■卒業後はどのように仕事を見つけたのでしょうか。

卒業後は、妊娠中に面接に行った、大阪・堺にあるデザイン事務所でお世話になることになりました。私が出産を控えていることに配慮し、在宅でお仕事をできるようにしてくれたんです。

そしてその社長さんがとても良い方で、アートに日々向き合う私を評価してくれ、デザイン会社「FMS inc. Design&Art Office」の“代表取締役”という肩書きを用意してくださったんです。

そのデザイン会社では、主に企業ロゴやHPの作成、またアートとコラボしたロゴ作成などをしています。

さらにパンケーキ屋時代に私の描いたアートが口コミで広がったおかげで、私のアートを気に入ってくださった方から依頼の連絡が直接来るようになったんです。

本当に感謝しかありません。

今では、私のアートがマタニティの方のお腹やホテル客室の壁画として、またタトゥや会社のロゴなどに使用されていることが本当に嬉しいです。

やっと・・・若い頃の私が夢見ていた「アートで稼ぐこと」ができるようになりました。



■今後の展望を教えてください。

私が大きな壁画や紙にアートを描くときに、描いている経過を多くの方に見ていただき、アート完成までの楽しさも知ってもらえたら嬉しいなと思っています。

アートを「少しハードルが高いモノ」と捉えている方も多いのかな?と思いますので・・・。

そうではなく「どこにでもある身近な油性ペンでもアートは生まれるんだ」ていうことを、もっともっとたくさんの方に知ってもらって、アートの面白さや楽しさなども伝えていけたら嬉しいですね。



これから好きなことで働きたい方へのメッセージ

「ピンときたら、すぐに行動!」が、本当に大切だと思います。

それって、安全地帯ではなく、わざわざ暗闇の中を歩き続けるような感じで、正直「怖い」と思う方が多いのかなと思うのですが・・・。

例え失敗しても、悩み続けて変わらない人生をダラダラ過ごしていることに比べたら、行動した方が気持ちがスッキリしますし、新しい成長にも繋がります。また回り回って、あの時の失敗が今に活きてくることも。

私もたくさんの失敗をしましたが、今の自分のあり方や、本当に素敵な方たちに出会えたのも、「あの時、勇気を出して行動したから」だと、自信を持って言えるようになりました。

あとは、悩んで悩んでたくさん考えることも重要なことですね。

自分は今何で悩んでいるのか、本当はどうしたかったのか、これから先どうしたいのか・・・など、今の自分としっかりと向き合うのも「好きに生きる」ポイントだと思います。

人生って、本人が変わろうと思えば、必ず良い方向に変わっていくもの。ぜひ、あなたの“好き”に向かって、たくさんの経験を積んでくださいね。その経験の全てがあなたの人生に必ず役に立ちますから。応援しています!

■インタビューを終えての感想(ellyさん)

インタビューがあったおかげで、改めて過去を振り返ることができました。本当にありがとうございます。

今の“好きなことで生きる私”がいるのも、過去の私が作り上げた結果だと思います。

営業職や路上アート、ニューヨークでの挑戦や就職活動、人気のパンケーキ店など、どの部分も私の人生には無くてはならない大切な経験であり、その経験で出会ったたくさんの人たちに支えられて、今の私があるのです。

これからもアートを楽しみながら、たくさんの経験を積みながら、もっともっとアートで笑顔になる方を増やしていきます。

ellyさんのリンク
Instagram:elly_art0701

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Written by

辻林奏能充(sonomi)

辻林奏能充(sonomi)

生まれも育ちも大阪の、大阪大好きアラサーライター。美容師・ヘアメイクの仕事を行いながらライターとして活動中。私の文章が読んでいただいた方の何かのキッカケになったらとっても嬉しいです!

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