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インタビュー

安定を捨て、アートの世界で生きる/赤川 陽太郎

■プロフィール
・赤川 陽太郎(アカガワ ヨウタロウ/1994年6月10日生まれ/大阪枚方市出身)
・高校までの少年時代は親の仕事の都合で東京や北海道、名古屋や富山で過ごす。
・京都芸術大学に進学後、アートプロデュースを専攻。
・社会人は、大型膜構造建築物『世界No.1シェアのリーディングカンパニー』の太陽工業(株)に入社。
・2021年4月より、カメラマン兼アートプロデューサーとして活動を開始。

「終身雇用の崩壊」など、これまでひとつの会社に生涯を通して働き続けるという価値観から副業・フリーランスなど、縛られない働き方など、働くことの多様化が進む現在、個の力を高めようという機運が世の中では高まっています。

そんな中、安定した会社員生活を手放し、アート市場の拡大、アーティストの地位向上のために動き始めている人がいます。

赤川陽太郎さんは、2021年4月に4年間の会社員人生にピリオドを打ち、大学生時代から夢見ていたカメラマン兼アートプロデューサーとして独立を決意。

不確実性の時代に、安定とは引き換えに「好き」を叶えるために独立という道を選択した理由、これからのヴィジョンについて赤川さんに伺いました。

幼少期の転勤経験から得た、コミュニケーション能力

うちの父親が製薬会社のMRをしていた関係で、幼少期は東京と北海道、小学校時代の半分は名古屋で過ごし、その後は富山・・・と転勤族でした。

小・中学生のころは同世代と比べ、身体が大きく、野球もやっていたので同学年の子から「お兄ちゃん」と呼ばれる存在。

最初は父の影響で野球を始めましたが、今となって思うのが野球チームって、いわゆる組織の縮図。

上下関係や礼儀礼節などは野球から学びました。年上に対する話し方や、コミュニケーション、団体行動を学べたことは後の人生につながっているのだと思い返しています。

あと、色々な場所を転々としていた経験が、コミュニケーション力を培う基礎となっています。

転校の度に前の学校の友達と分かれ、またイチから人間関係を築いていくため、多くの出会いと別れを経験する中で、人を見る目や人との距離を縮める力が身に付きました。

野球一筋だった少年がアートの世界にのめり込むまで

高校は富山でもスポーツで有名な学校に進学しました。小・中と9年間野球部だったので、周りは当然野球を続けるものだろうと思っていたみたいですが、私自身は、最初から野球部には入らないと決めていました。

もともと、絵を書くのが好きで、授業中も落書きばかりしているような子ども。机とノートと教科書はすべて落書きだらけでした(笑)。中でも戦車、飛行機の絵を描くのが楽しみでしたね。

昔からアートに興味があったことから、高校では、迷わず美術部と写真部に入りました。

高校で美術の基礎をしっかり学んだことで、眠っていた気持ちが開花し、芸術の甲子園とも言われる全国高等学校総合文化祭で何度か入賞や県の代表も経験しました。

写真部も放任主義だったので、技術的なことなどは全て独学。とにかく色々な写真を沢山見ました。

アンドレアスグルスキーや、マーガレットバークホワイト、ブラッサイになどに影響を受け、高校時代はとにかく写真に熱中していましたね。

また、美術や写真にのめり込む傍ら、生徒会の活動にも参加していました。先生から頼まれ、最初は断ろうと思っていたのですが、自分のモットーとして「何事も、やってみてから考える」性格なので、合わなかったら断ろうと思っていましたが、結局3年間在籍しました。

この生徒会の経験を通して、他校との交流も深まったので結果オーライでしたね。

アート作品を「産みだす」側から「プロデュース」する側へ

大学も自然と芸術系に進むのかなと漠然と考えていましたが、ある時、先生から「どこでもいいからオープンキャンパスに行ってこい」と言われ、京都芸大にいったのが全ての始まりでした。

オープンキャンパスって普通は制服で行くものなのですが、生意気にもアロハと短パンだったのです。今考えるとそうとう変わった高校生ですよね。

その時、たまたまアートプロデュース学科のブースの近くをふらふらしていたら、当時の学科長の目に留まったみたいで、「そこのアロハの兄ちゃんちょっと来て」と声をかけられました。

「あんたアートで一生食っていきたいか」と聞かれ、30分で口説かれ入学を決めました。

京都芸大のアートプロデュース学科は、「みる、考える、話す、聞く」 をモットーにアートを通したコミュニケーション方法を学ぶ日本では珍しい学科です。

海外では複数人で集まってアート作品を媒介に語り思考を深めることは日常のことですが、日本にはまだまだそういった概念は浸透していない。
アート作品を使ったコミュニケーションスキルの発達を後押しするのがアートプロデュース学科の目的です。

現に、その頃学んだスキルは今の仕事でとても役立っています。

大学生時代に一番印象に残っている出来事は、3回生の時に「まだ見てないものを見てみたい」という理由から、バックパッカーでアメリカ横断の旅をした時のことです。

旅の途中に、NYのMOMA(ニューヨーク近代美術館)に立ち寄った際に、ある作品を前にお母さんと娘さんが地面に直接座って絵を書いていた風景が今でも鮮明な記憶として残っています。

日本の美術館におけるマナーでは考えられない行動だったというだけでなく、親子が眺めているキャンバスは何も描かれていない真っ白な作品だったのですが、その親子は真っ白なキャンバスから感じたインスピレーションをもとに、自ら創造したものを話し合いながら絵にしていた姿に驚きました。

海外では、こういった風景は当たり前であり、アート作品がコミュニケーションのツールとして日常に浸透していること、日本とは違う文化のあり方に衝撃を受けましたし、この出来事は「アートを日本に浸透させるために当たり前な風景とするべき模範」なのではないかと、自分の信念を確立した瞬間でした。

あえて、アートの世界とは真逆の世界に

また異なる話になるのですが、同じく大学生の頃に、カメラの師匠にあたる人に「仮にカメラのセンスや技術があっても、マナーや一般常識がなければ、いい仕事につながらない」と言われたことが、心に刺さっています。

「社会を知ることの大切さや重要性」がずっと頭に残っており、まずは社会人としての経験を積むことの重要性を感じたので、在学時にインターンシップでお世話になった太陽工業株式会社にそのまま就職しました。

テント倉庫や膜天井施設など、膜構造建築物で世界トップクラスのシェアを誇る会社で、東京ドームの天井などを手掛けていることで有名です。

営業部に配属されたのですが、取引先は民間企業の社長や、部課長クラスの方が多く、そういった方々と直にお話させていただけたことは大変勉強になりました。

また、新入社員のころから数千万単位の取引を担当していたので責任感だけでなく、マネジメント力などは身についたと思いますね。

工場や倉庫などの建築物をゼロから提案する仕事なので、大学時代に学んだプロデュース力も役立ちました。
「それがなぜ必要なのか」から始まって空間を作り上げるまでの過程は、アートによってコミュニケーションの場を作ることと似ているのです。

大学4年間で身に着けたアート思考がビジネスの世界でも活かされる場面は多々ありました。

社会人経験があったからこそ、得られたもの

営業時代は、転勤という形で全国各地を転々としていたので、様々な土地、環境で、ビジネスシーンやプライベートで色々な人との出会いがあったことは大きな財産になりました。

会社員をしながら、プライベートでは撮影も続けていた中で人と人のつながりから頼まれることも多く、ボランティアのような形でカメラワークの活動を継続していました。

人との出会いには本当に恵まれていて、今もお客さんから「陽ちゃん、今は何しているの?」と電話がくるほど。

今の会社に入っていなかったら、こういった出会いや経験はなかったと思います。
また、私自身が転勤の多い環境で育ったということも関係しているのか、様々な土地で新しい経験をすることは、自分の視野や知識、知見を広げるのにとても役立ちました。

一般的に転勤というとあまりいいイメージが持たれない印象ですが、新しい経験や出会いを通して、自分自身が成長するチャンスを与えてもらえるきっかけだと捉えています。

今の会社に入って丸4年になりますが、自分の中では十分やりきったという気持ちもあり、同時に本格的にアートの世界に戻りたいという思いが湧いていました。

もともと、社会人として経験したことをアート業界に還元したいという想いもあったので、今年の2021年春をメドに次のステップへと進むことを決めました。

これからは「日本の市場にアートを浸透させる」こと。そして、「アーティストが自分の作品で食っていける環境を作り出す」を叶えていくための行動に取り組みます。

そのためには、アーティスト自身がその市場に受け身の姿勢でぶら下がるのではなく、自らがプレゼン力や、コミュニケーションスキルを磨き、作品を売り込む力を養う必要があるのです。

そのために、私がそのスキルを伝えていくことで、アーティストの地位向上に努めていく、そして将来的にアーティスト支援を行う組織・団体を作っていきたいと考えています。

好きな世界でサバイブしていくために

今後は、アートを日常に根付かせる活動に加え、アーティスト自身が自分を市場に売り込むための自己分析とPRスキルの向上を目的としたセミナーなどの開催を計画しています。

会社員時代に営業で学んだコミュニケーションスキル、PRスキルを活かし、「どうすれば作品の価値を相手に認めてもらえるか」「フリーランスのクリエイターが自分を売り込む方法」などのノウハウを何かしら形で伝えていきたいと思っています。

アーティストはただ作品を生み出すだけではなく、「認知・理解」してもらい、マネタイズにつなげることが、これからのアート産業に必要なことだと感じています。

そして、それらをサポートすることが私に与えられた使命であると考え行動を起こしていきます。

私自身の性格上、「やらないで後悔するより、やって後悔したい」と思うタイプなので、これからアート業界で思いっきりサバイブしていこうと思います。

これまでの経験を通して伝えられることでいくと、「好きなジャンルを仕事にしていきたいなら、まずは違うジャンルを経験して勉強すること」が大切なことのひとつだと思っています。

ひとつのことを突き詰める事ももちろん重要なのですが、逆に考えると視野が狭くなるリスクもあります。

だからこそ、あえて自分の進みたいジャンルとは違うことを吸収していくことで、本当にやりたいことに良い影響を与えてくれることも多いのではないでしょうか。
後は、アーティストやクリエイターや同世代の方に言えることでは、自分の力を過小評価している人がとても多いと感じます。

まずは、自分の作品やスキルを誰かに見てもらったり、コンクールに出してみたり、第三者の意見を参考にしてください。

それで「スゴイ」と言われたら、まずはその道に進んだ方がいいと思っています。

ダイヤの原石ではなくとも、石も磨けば光ります。やりたいことがあって悩んでいるのであれば、まずやってみるべき。一度きりの人生なので後悔しない道を歩んでもらいたいですね。

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Written by

HAKU

HAKU

大手人材会社にて、法人営業を経験後、制作部門に異動し製造、IT、飲食、エンタメとあらゆる業界の上場企業からスタートアップのベンチャーなど、10年超のキャリアにおいて約3000社以上の企業の取材・制作・ライティングを実施。関西の制作責任者を務めた後、フリーランスにて活動を開始。

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