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インタビュー

誰もが「自分らしく」働くことのできる世の中へ/江邉 信太郎

#起業家 #サッカー #働き方改革

関西最大規模の働き方フェスイベント「ハタラキカタソニック」の副代表を務める江邉 信太郎さん。
スポーツを通じて人と深くつながることを経験した少年時代、その後「人と向き合う」仕事として人材育成に携わりながら様々なキャリアを重ねていきます。

その間、一貫して「人」に焦点を当てた働き方を選択してきた江邉さんが、今の人事の道を選択するまで、そして「ハタラキカタソニック」を立ち上げるまでの道のりやこれからの想いについて、話を伺いました。

■プロフィール
・江邉 信太郎(エベ シンタロウ/1986年5月16日/大阪府箕面市出身)
・大学卒業後、人材サービス会社のパソナキャリア(現パソナ)へ入社
・5年半アドバイザーとして勤務後、人材紹介、新規事業を立ち上げを経て、行政の委託事業などを担当
・その後京都大学で学生の就職支援や入試関連の業務に従事
・現在は全国に20店舗を構える写真スタジオの人事担当者として、採用と教育・研修に携わる
・2018年に立ち上げた有志の団体『ハタラキカタソニック』の副代表も務める

サッカーに明け暮れた少年時代

生まれは大阪府箕面市の小野原という町です。緑の多い穏やかなところで、のびのびと育ちました。

5歳からサッカーをはじめたのですが、幼稚園から小学校までサッカーを通して友達もたくさんできましたし、サッカーが生活の一部という感じでした。
僕は今でも大柄なのですが、当時から身体も大きいし、よくしゃべるし、おまけに声も大きかったのでとにかく目立つ子でしたね。

小学三年生の時に京都の京田辺市に引っ越したのですが、もともと明るい性格だったこともあり、すんなりなじむことができました。
新しい環境でもサッカーを続けていましたが、中学に進学するタイミングでクラブチームへ行くか、学校のサッカー部に入るかという選択を迫られさんざん迷ったうえで、学校の部活動を選択しました。

ところが、チームは小学校の時と同じメンバーだったので、なあなあの関係のまま続けてしまったことが仇となり、サッカーへの情熱が次第に失われていきました。

僕はキャプテンも務めていたのですが、チームをコントロールもできず、張り合いがなくなったことも大きな原因の一つでした。
それに加えて思春期特有の反抗心もあり、中学時代は少し難しい時期でしたね。

サッカーを通して“つながる力”を育んだ高校時代

高校は地元の公立へ進学しました。
地元でも学力の高い学校だったのですが、サッカーの強い学校ではなかったのですぐにレギュラーになれるかと思いきや、僕の学年だけ上手いやつが多くて。
人数も1年だけで25人いたこともあり少し焦りましたね。

振り返ると最初は好きという気持ちだけでサッカーをはじめたけれど、中学校からは一転そこまで頑張らなくても試合に出られるし、地域のレベルであれば簡単に勝ててしまうので面白くなくなったんですね。

しかし、高校のサッカー部では、頑張らないと試合にも出られない、この危機感が自分を奮い立たせてくれました。
すっかり冷めていたサッカーに対する熱が再び高まった瞬間でしたし、そこからの3年間はサッカー一色。

全国大会を目指して仲間とともにひたすらサッカーに打ち込みました。
結果、京都府でベスト16入りを果たしたり、総体で優勝するなど、少し注目されるような存在になりました。

この時のメンバーとは、今でも仲がいいですし、一生の仲間だと思っています。

うちの高校は進学校だったので、本来であればインターハイが終われば引退となるのですが、最後の試合でくやしい負け方をしました。
他のメンバーも同様で、こんな形で辞めたくないということで、最終的に3年生の10月まで部活を続けました。
親や先生からは色々と言われましたけど、やれることはやり切ったという充実感がありましたね。

そこからは一種の抜け殻状態でとくにやりたいこともなかったので、このまま就職でもいいかなと思っていたのですが、さすがに父親からそれはダメだと。
大学4年間は好きなことをしてもいいからとにかく頑張れと言われ、そこから猛勉強しました。

人としての視野が広がった4年間

大学は龍谷大学の社会学部に入学しました。大学を選んだきっかけとなったのが姉の存在で、学部もゼミも姉と同じものを選びました。
大学でもサッカーのサークルに入ったのですが、メンバー全員サッカーが好き過ぎて。先輩も家にスカパーやWOWOWも契約しており、国内外のサッカーがいつでも見放題という最高な環境だったんですね。

そこで男子5~6名で夜な夜な集まって酒を飲み、「このディフェンスラインきれいやな」とか言いながらサッカーを見るという日々を満喫していました。
もちろん、同じくらい練習もしていましたが、とにかくサッカーのことしか考えていないような団体だったので、他のサークルからは少し気持ち悪がられていましたね。

このサークルでもサッカーを通してかけがえのない仲間とつながることができましたし、本当に充実した4年間でした。

「人と向き合う仕事」が自分の天職に

就職活動のころは、ちょうどリーマンショックによる就職氷河期の直前でしたが、希望していた人材業界へ進むことができ新卒でパソナに入社しました。

最初に配属されたのが再就職支援を行う部署。
早期退職した方に一年生の自分がなにをアドバイスできるのか、市場の動向など的確なアドバイスできるのか、さらに今までの役職や年収を担保できるのかなど、とにかく不安ばかりでした。

再就職支援の仕事は主に人材業界で経験を積んだ人が担当することが多く、部署内でも新人教育のノウハウがなかったので、戸惑いもありましたが、最初は先輩の面談に同席させてもらい、とにかく見て学ぶことに徹しました。

はじめは東京勤務でしたが、もっと自分を成長させたいという思いから鹿児島への異動を希望しました。

なぜ鹿児島だったかというと全国で一番と言われる名物支店長がいて、その人の下で働きたいと思ったから。

支店長からは仕事の進め方、仕事に対する姿勢など多くのことを学ばせてもらいました。厳しいだけではなく、毎日必ず感謝の言葉をかけてくれる温かい人でしたね。

鹿児島では、毎朝7時に出社し夜の7時までみっちり働いた後、飲みにいくという生活に。
早く出社して早く帰る、メリハリのある働き方も僕には合っていたと思います。

また、人材紹介と言えば、まずは企業の要望をもとに候補者を提案するというのが通常の流れですが、鹿児島支店では、求人者のスペックや希望をもとに、その人にあった仕事を営業が探すという逆のやり方でした。

この相手を尊重し大切にする姿勢は、今でも自分の仕事に活かされていますね。

その後、看護師マーケットの立ち上げメンバーとして、大阪の人材紹介部署へ異動になりました。
結局、大阪の看護師マーケットの立ち上げには至りませんでしたが、ここで2年経験した後、次に行政に対するプロポーザル(事業提案)を行う部署へ。

グローバル人材育成PJのリーダーや外国人留学生に関わる事業の責任者など、幅広い事業に携わることができました。
この時一緒に働いていたメンバーに「江邉さんと一緒に働けてよかった」と言ってもらえたことは一生の宝ですね。

すべての経験が“今”につながっている


入社してから5年半、様々な部署や事業を経験しましたが、自分が本当にやりたいのはキャリア支援であることに変わりがなく、会社にも希望は伝えていましたが、最終的にそれが叶うことはなく次のステップへ進むためパソナを退社しました。

ちょうどそのころ、個人での活動も増えてきていて、大学時代のメンバーや、小学校の先輩とも再会し「何かサッカーに関することをやりたいね」という話で盛り上がっていたところ、スポーツ系の財団法人を立ち上げる方と出会い参画することに。

ここでは事務局長としてサービスコンテンツの企画から営業、事務業務全般まで何でもやっていましたね。
ただそれだけでは生活できないので、フリーランスとして企業の説明会や面接などの採用代行業務も行っていました。

その後、京都大学で学生の就職支援や入試関連の業務に携わったあと、2018年からは現職である株式会社ファインネクストに人事担当として加わることに。

ファインネクストは全国に20店舗を構える写真スタジオで、入社以前から社長より人材育成ついて相談を受けていました。

そのような経緯もあり、自分が求められている場所で新たにチャレンジしたいと思い入社を決めました。
今は社長や常務に近いポジションで経営にも参加させてもらえているので、とてもやりがいを感じています。

これまで人材業界で働いてきて、会社をよくしていくためには“人”が重要ということを強く感じてきたので、今ここで自分が関わることで働く人全員が満足できる環境を作っていきたいです。

働く人すべてのサポーターでありたい

僕自身が新卒から14年間、一貫して人材業界に携わってきたということもあり、「自分らしく働く」ということに対して強い思いがあります。

2018年には「働く主権を個人に!取り戻す」を合言葉に、有志の団体『ハタラキカタソニック』を立ち上げました。

きっかけとなったのが、4年前のロート製薬の副業解禁。
働き方改革が大きな話題になっている中、その当時関西には働き方に関するイベントがあまりありませんでした。また、働き方改革のメッセージとしては、「残業を減らしましょう」というというものが多い印象でした。

僕の中では、人にはそれぞれのライフステージがあって、色々な働き方があるべきなのに、残業を減らすだけでは解決できないという思いがあり歯がゆさを感じていました。

そこで「大事なのは“自分で働き方をコントロールできること”であり、一人一人がそれを考える場が関西にはない!」と、働き方を考えるフェスを作ろうと思ったのが『ハタラキカタソニック』の成り立ちです。

第一回目は基調講演にYahoo!の伊藤 羊一さんに来ていただき、集客目標である100名を超える方に参加いただきました。

最初は軽いノリからはじまった『ハタラキカタソニック』ですが、これまで3回開催し、毎回大きな手ごたえを感じています。

『ハタラキカタソニック』は、様々な働き方について発信していく場所であり、個人が自分自身の働き方を自分で選択するための手助けをする場。
これからも、キャリアや働き方で悩んでいる人に対して、行動するきっかけになるような活動を続けていきたいと思っています。

この思いは新卒でパソナに入社した時から変わっていませんし、これからも、決断のタイミングにいる人にとって、ターニングポイントとなるようなサポートを続けていきたいですね。

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MY

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大学卒業後、生活情報誌の記者を経てキッズファッション誌の立ち上げに携わる。2007年から大手人材サービス企業にて5000件以上の制作業務を担当。2017年以降、営業責任者として従事しながら地域振興プロジェクトの広報、新規事業立ち上げも担当。2019年から障がい者雇用を推進するクリエイティブ系の新事業をスタート。現在、複数の法人立ち上げにも貢献している。