お問い合わせ

インタビュー

『10年後も愛せる一足を』ものづくりの未来が輝くように/株式会社インターナショナルシューズ「brightway」・上田誠一郎

#ものづくり #インターナショナルシューズ #brightway #スニーカー

お家の靴箱を想像してみてください。そこに10年間履き続けているスニーカーはありますか?

『10年後も愛せる一足を』と語るのは、2020年にブランドデビューを果たした国産レザースニーカーブランド「brightway(ブライトウェイ)」ブランドディレクターの上田誠一郎さん。

「brightway」は1954年に創業した婦人靴の製造工場「株式会社インターナショナルシューズ」が手掛ける新ブランドです。

65年以上の歴史を持つ同社の三代目でもある上田さん。安定した環境の中でどうして新たな挑戦をすることにしたのか。

本インタビューでは、ブランド立ち上げまでの経緯や込める想いをおうかがいするとともに、「brightway」のスニーカーの魅力に迫りました。

■プロフィール
上田誠一郎(うえだせいいちろう/1987年生/大阪府)
株式会社インタナショナルシューズ|専務取締役
brightway|ブランドディレクター
・立教大学 経営学部 国際経営学科 卒
・大学卒業後「株式会社かねまつ(銀座かねまつ)」に入社
・2015年「株式会社インターナショナルシューズ」に入社
・2020年「brightway」ブランドデビュー
・「ICC KYOTO 2020」クラフテッドカタパルト・ファイナルプレゼンテーター

跡継ぎに生まれた、ただそれだけで継ぐつもりはなかった

―まず初めに、「株式会社インターナショナルシューズ」はどういった会社でしょうか?

大阪・浪速区にある婦人靴製造メーカーで、 国内の婦人靴ブランドのOEMをしています。

もともと祖父が創業し、父が跡を継いで二代目になりましたが、実は僕は継ぐつもりはなかったんです。僕の経歴を見ると、はじめから継ぐ予定だったように見えると思いますが、そんなことはなくて。

高校時代は水泳部に入っていて、毎日水泳に明け暮れていました。大学も「東京で水泳がしたい、どうせならスポーツの頂点に行きたい」との思いで立教大学を選択。

いざ入ってみると、“才能”を目の当たりにして、僕の進む道はこれじゃないと早々に悟りましたが(笑)

学生時代に「海外と日本を繋ぐ仕事をしたいな」とは漠然と思っていましたが、自分がどんな仕事をするかなんて想像できなかったです。家業を継ぐことはそれ以上に…(笑)

―とは言え、新卒で「株式会社かねまつ(銀座かねまつ)」にご入社されています。家業に近いようにも感じますが…。

そうですよね。でも特に意識していたわけではなくて、就活をする際に「ファッションに携わる企業に就きたい」と思っていたのと、「一番最初に内定を貰ったところに行く」と決めていて、一番初めに内定をくれたのがかねまつさんでした。

ファッション業界を希望したのは、高校が私服だったので周りのセンスに刺激されていたことや、大学時代に東京で最先端のトレンドに触れていたことなどが影響していると思います。

なにより、我が家はファッション雑誌や靴が常にあるような環境だったので、昔からオシャレに関することへの興味は大きかったです。

―ご入社されてからはどのようなことをされていたのですか?

販売スタッフとして店舗で接客をしていました。

はじめの1年間はとにかく必死でしたね。厳しいこともありましたが、恵まれた人間関係で、販売に関することはもちろん、社会人としての基礎をたくさん学ばせていただきました。

入社2年目に副店長に任命いただき、そこから3年ほど別の店舗も含めて副店長を務めました。

―2年目で副店長を務めるのは、かなりの栄進ですよね!順調なキャリアステップのように思いますが、退社するに至ったのはなぜですか?

そうですね、ありがたいことに評価いただいていたと思います。ただ、それに反して歳月を重ねるごとに僕の中で夢や想いが芽生えてきたんです。

退社を決意した理由は2つあるのですが、ひとつは「ものづくりで商品やライフスタイルをもっと良くできるんじゃないか」と思ったからです。

と言うのは、店舗で接客をしていると、靴のデザインは気に入っているのに足の幅や甲の高さが合わないといった理由で履けない靴があり、残念にされているお客様を目にすることが結構あって。

販売員は接客などのソフト面でのサービスはいくらでもできますが、商品自体のハード面は変えられないんですよね。

そこがもどかしくて、もっと満足してもらえる物を自分で作りたいという夢ができました。

―もうひとつはなんでしょうか?

生意気ですが、店舗でやりたいと思うことはやり尽くした気がしました。

そして、これからの自分のキャリアを考えたときに、販売員を辞して経営の方に携わってみたいと思ったんです。それで、5年間お世話になったかねまつさんを卒業することに。

次の就職先を考えたときに、靴を作る側や経営に関われるのは家業しかないんじゃないかな、と。

別の仕事をしていたら、おそらく今の仕事はしていなかったと思います。かねまつさんに入社しかたらこそ、家業に入ることになりましたね。

開いてしまった「パンドラの箱」、三代目としての覚悟

―とは言え、家業に関してはなにも知らない状態で入られたということですよね。まずは、実際に働いてみた感想をお聞かせいただけますか?

正直、「パンドラの箱を開けてしまった」と思いました(笑)
僕が入社した頃の業績が思わしくなかったということもあって、大変なところに足を突っ込んでしまったかもしれないな、と。

当時はちょうど、Stan SmithやNew Balance、ガウチョパンツのブームが到来していて、婦人靴の売上が以前に比べてかなり落ち込んだんです。

それで父が精神的に塞いでしまって、僕が入ってすぐに経営から離れました。本当に0からのスタートという感じで、初めのころは現場でなにか問題が起きていることはわかっても、その原因がわからないというような悶々とした日々でした。

―それはすごく大変そうです…。そんな中で特に苦労されたことはありますか?

”モラル”と”ものづくり”の向き合い方です。

例えば、弊社の靴は革で作っていますが、革は自然の物なので使用する場所や個々によって色の差が生じることが多いです。

業界の風潮として、そのような自然の色の差はしょうがないといった雰囲気があって…。でも僕は買う側の気持ちもよく知っていたので、「私たちにとっては何足かのうちの一足でも、買う側はその一足しか知らないんだ」ってことをとにかく訴えて。

そういったモラルの話を1年ぐらい言い続けました。

―事業継承ではよく、既存の従業員との関係性が課題になったりしますが、そのあたりはどうでしたか?

その点については僕自身も気を付けていて、水泳部の監督が学生時代に言ってくれた言葉をいつも忘れないようにしています。

「お前は跡継ぎ坊ちゃんだから、人の倍以上の努力をしてやっと認めてもらえる。」

本当にその通りで、ただ跡を継いで傲慢にしていては誰もついてきてはくれません。僕自身が行動で見せることが大切だと思い、何事も真摯に率先して行動するようにしていましたし、今もそうしています。

あとは、いかに商品を良くできるかということをずっと言っていたので、僕の私利私欲のために戻ってきたのではないということを分かってくれたんじゃないかなと。

おそらくそういった姿勢を見て、僕の想いを理解してくれたのだと思います。ありがたいことに、反発もなくみなさん付いてきてくれました。

踏み出した新ブランド『brightway』―その名前に込めた想い―

―さて、ここからは「brightway」についておうかがいします。まず、「brightway」はどのようなブランドでしょうか?

「brightway」は『10年後も愛せる一足を』がコンセプトの、シンプルなデザインとソフトな履き心地が魅力の国産レザースニーカーブランドです。

ALL OSAKA MADEを掲げ、可能な限り日本国内で生産された良質な素材を使用し、大阪の工場で製造しています。

どの商品もシンプルで流行に左右されないミニマルなデザインであり、10年後、それ以上もずっと長く履いていただけるように、ソールや靴紐、中敷きの交換といったリペアサービスを設けています。

このサービスは「brightway」のスニーカーを長く愛用いただきたいという想いはもちろんですが、作ったものに責任を持つことがものづくりをする者としての任務だと思い、大切にしています。

―”作ったものに責任を持つ”とても印象的な言葉です。次に、ブランド誕生のきっかけやデビューについて教えていただけますか。

きかっけは、僕自身がセットアップを着ることを多いんですが、合うスニーカーがないと思ったことです。ビジネスシーンにも着用できるシンプルで上質なスニーカーが見つからないな、と。

それから、過去に靴が処分される場面を見たことも影響しています。実は靴も売れ残ると処分されることがあるんです。

せっかく職人が必死で作った物が売れないまま処分されているという事実がとても残念で…。現代の流行だけを追った大量生産・大量消費の文化にも疑問を感じていたので、捨てられることのないものづくりをしたいな、と思っていました。

このような想いやデザインをクラウドファンディング「Makuake」に掲載し、資金を募ったところ、うれしいことにスニーカーでは過去最高額の支援をいただき、2020年3月にブランドデビューを果たしました。

―ビジョンに共感された方が多かったということですね!上田さんは「ものづくり」にすごく熱い想いを持っていらっしゃるように感じます。

そうですね。日本のものづくり産業を衰退させないように、明るい未来にしていきたいと強く思っています。

実は今、アパレル業の工場数は20年前の約2%までに縮小しているんです。日本の職人の技術はすごく高くて素晴らしいんですが、コストや後継者などさまざまな要因で存続がむずかしく、衰退していってしまっていて。

僕はものづくりに関わる者として、日本が誇るこの素晴らしい職人技術を守り、次世代へ継承していくことが重要だと考えています。そして、作り手がもっと評価されフューチャーされるべきだとも思っています。

「brightway」では職人に敬意を示し、絶対にセールはしません。モデル数をむやみに増やすこともしないですし、作ってくれたものへの対価をきっちりと支払うことを大切にしています。

―上田さんの熱意がひしひしと伝わってきました。ところで「brightway」は造語だと思うのですが、どういった想いが込められているのですか?

ブランド名には『私たちの靴づくりに関わる全ての人が、ものづくりを通じて豊かな人生を歩めるように』そんな願いが込められています。

bright(輝く・素敵な)
way(道・方法)
作り手と使い手、それぞれの歩む道が輝く未来であってほしいと、2つずつの意味を込めて名付けました。

brightwayのスニーカーを履いて下さるみなさまに、これからの人生で素敵な出会いや経験がありますように、そしてその足元にはいつも私たちがいますように…そう願っています。

―「brightway」のこれからについて、展望を教えてください。

まずは、今までどおり、一足ずつ想いを込めて作ってお届けしていきます。

あとは、最近「ヘラルボニー」さんと一緒に商品を出したのですが、他のものづくりとのコラボレーションもどんどんしていきたいと思っています。

ヘラルボニーさんは、知的障害のある作家たちが描いたアート作品を販売されているのですが、今回のコラボレーションでは、アートに彩られたお洒落なスニーカーができました。

知名度や称賛が欲しくてしているわけではありません。お互いの想いに共感、共鳴したからこそ、掛け算してなにか新しい物を作りたい、その活動によって世の中を良くするための関係人口を増やしていけたらうれしいなと思っています。

それから、ゆくゆくは海外にもbrightwayのスニーカーを届けたいです。「インターナショナルシューズ」という名の通りになるよう、そして、漠然と思い描いていた「海外と日本を繋ぐ仕事」を体現化できるよう、頑張ります!

振り返れば良い人生だった、そう思えるように

―一般企業と家業のどちらも経験されている上田さん。そんな上田さんから、ハレダス読者にメッセージをお願いします。

僕の今までの人生を振り返ってみると、数々の出会いとご縁でここまでこさせてもらったな、と思います。けれど、全てがラッキーだったか?と聞かれるとそうではなくて。

まずは僕自身が信頼してもらえる、応援してもらえるような人間になろうと心掛けて行動してきましたし、やると決めたことに地道に取り組み続けてきました。そんな姿を見てくださっていたからこそ繋がったご縁もあったんじゃないかと。

例えば、してもらったことにお礼を伝えられるとか、そんな些細なことでも、きちんと出来るかできないかでは大きな差があります。

どんな方も、目の前のことに誠実に向き合い努力していれば、見てくれている人が必ずどこかにいるはずです。

大切なのは、だれかが手を差し伸べてくれたときに、そのことに気付き次に繋げられること、そして、そこでお礼を言える人間であるということです。

それから、なにか新しいことを始めたいと思っている方には、小さく始めてみると良いと伝えたいですね。膨大でなければ、大抵のことは軌道修正できます。軸がぶれなければアップデートはいくらでも後からできるんです。

考えすぎて動かないはもったいないので、興味を持ったことがあるなら行動を起こしてみてください。“知ってる”と“やってみる”とでは全然ちがいます。

「こんなはずじゃなかった」もいいじゃないですか。振り返ったときに良い人生だったと思えるように、みなさまのものがたりを進めていってほしいです。

―素敵なお話をたくさんありがとうございました。

「brightway」ホームページはこちら

TAG

Written by

YURI

YURI

大阪府出身のライター。 小説、ラジオ、美容コスメ、韓国をこよなく愛する。 大学卒業後、大手アパレル、英語教育サービスを経て、ライターに転身。 『話してくれた人の想いをきちんと届けること』がモットー。