元プロ野球選手という肩書きを持つ石黒貴美子さん。
小学生から野球を始め、人生の多くを野球に捧げてきました。順風満帆に時が過ぎ、高校を卒業するときにはプロ野球選手への切符も掴みました。
しかし、チーム入団から2年、突然の戦力外通告。
一度は諦めるはずだった野球人生をつなぎ止めたのは、介護の仕事だったといいます。
今回はそんな紆余曲折あった石黒さんにインタビューを行い、野球人生や介護職の魅力などについて聞いてみました。
■プロフィール
・石黒 貴美子(イシグロ キミコ/1999年6月11日/大阪府出身)
・小学2年生から兄の影響で野球を開始
・公立の中学校に通いながら外部の野球チームに所属
・高校は福井工業大学付属福井高校へ進学し、寮生活にて3年間野球漬けの毎日を送る
・高校卒業後「株式会社わかさ生活」に入社。業務に従事しながら女子プロ野球選手としても活動
・2018年に所属球団の経営難により戦力外通告を受けて退社
・その後、野球環境も整った株式会社エースタイルが運営する総合福祉介護の「WELFARE」に入社
・現在、介護師として働きながら女子硬式野球部に所属。同僚と業務&野球に励む
野球に興味を持ち始めたきっかけは?
お兄ちゃんたちが野球チームに入っていたことです。楽しそうに野球に打ち込んでいるのを見て「私もやってみたい!」と、小学1年生のときに感じました。
でもお母さんには「長続きしなさそうやし、やめとき」と言われてしまって。お母さんがダメなら監督に直接頼もうと思い、泣いてお願いしました(笑)その監督への直談判が功を奏し、監督がお母さんを説得してくれました。
お兄さんはボーイズチームに入団していたと聞いていますが、女の子の入団は異例だったのではありませんか?
そうですね。チームに女の子は私1人でした。低学年の頃は兄も一緒でしたし、性別の違いもそれほど意識しなかったのですが、高学年に上がると、少し物理的な不自由さを感じる場面もありました。
しかし、それよりも野球が好きな気持ちが強かったので、中学生になってもお兄ちゃんたちを追いかけて別のボーイズチームに移って続けていました。
体格にも差が出てくると思うのですが、レギュラー争いなど苦労はありませんでしたか?
私が中学生のときに入団したチームは、そんなに人数が多くなくて。中学2年生まではあまり試合には出られませんでしたが、中学3年生にはレギュラーとして試合に出ていました。
小学生時代は、ショート、セカンド、ピッチャーといろんなポジションに挑戦していたのですが、時間の経過とともに守備が好きなことに気づいて、中学生になるときにはセカンドで定着しました。
学生生活と野球チームの両立は大変でしたか?
特に大変だったという記憶はないです。学校のクラブに入っていなかったので、クラブの代わりが外部のチームだったという感じですね。
学校にいるときには、普通の学生として楽しみながら、帰宅してからは野球を楽しむ。そんな毎日でした。こうして振り返ってみると、学校以外は、本当に野球しかしていないなと思います(笑)
野球愛が強かったのですね…!一度も嫌になったことはありませんでしたか?
練習が報われなくて、伸び悩んだときには「しんどいな」「辞めたいな」と思ったことはもちろんあります。
後、小学4年生くらいのときに、初めて立った試合でデットボールが当たったんです。そのときに野球するのが怖くなって気持ちが少しネガティブになりました。小学生だったので、上達するとともにネガティブさからは開放されましたが。
中学生になってからは、チームメイトにも恵まれ、楽しいと感じることの方が多かったです。試合には全然勝てなかったんですけどね(笑)
福井高校への進学を決められたのには理由があったのですか?
縁あって推薦をいただいたんです。基本はボーイズチームで活動していましたが、並行してボーイズチームに所属している女の子だけが集まるチームにも所属していました。
そのチームで試合に出ていたときに、福井高校の監督たちが見にきてくれていたみたいで。それをきっかけにお声をかけていただきました。
大阪から福井に移住して生活や気持ちに変化はありましたか?
寮生活をスタートさせたのですが、親元から離れて寂しい気持ちよりも、チームメイトたちと寝食ともにする日常が新鮮で楽しかったです。
関西から来た子が偶然クラスも寮の部屋も一緒で。20名ほどのチームメイトのうち、寮生活の子がほとんどだったので、入学したての頃はとにかく楽しくて、やんちゃばっかりしていましたね(笑)
高校2年に上がる頃には「後輩の面倒見て育てないといけないな」と先輩になる自覚も芽生えました。高校生の後半には、チームキャプテンしながら学級委員長もするようになっていました。
リーダーシップを発揮されていたのですね!キャプテンとして目標はあったのでしょうか?
女子硬式野球にも春と夏の全国大会や、ローカル大会など、いくつかの試合があります。それらの試合での優勝を目指して、チーム一丸となり練習していました。
今年からは女子野球の全国大会決勝も、甲子園で開催されるくらいポピュラーになってきていますが、私たちの時代、決勝は京都の丹波。一番はそこを目指して邁進していましたね。
高校時代の経験からプロの道を決意されたのですか?
高校3年生のときに監督から、チームの3年生全員に「トライアウトを受けてみないか?」と声がかかったんです。せっかくなので挑戦してみようと思い、トライアウトを受けました。
結果、合格。唯一女子野球チームを持つ『わかさ生活』に所属することになりました。
プロ野球選手としての生活はいかがでしたか?
『わかさ生活』は、女子野球チームを3チーム+育成チームの計4チームを持っていました。高校卒業したての選手は、必然的に育成チームからのスタートになります。
私も育成チームからスタートし、午前から練習に打ち込み、午後は仕事をする、そんなルーティンを送っていました。練習は想像通り、結構ハードでしたね(笑)
しかし、午後から社会人としての礼儀やパソコンスキルなども学べたので、とても良い経験だったなと思います。
お仕事内容についても詳しくお聞かせください。
チームがひとつの部署になっていて、『わかさ生活』の商品を、管理や営業などの業務ではなく、試合のチケットを発行したり、グッズを制作したり、野球チーム運営に関わる業務をしていました。
私が所属していた『京都レイア』、その他3チームを含め4チームがそれぞれ部署になっており、2チームが試合していたら残りの2チームで業務を運営する形で働いていました。
プロ生活は2年だったと聞いています。退くときの心境はどうだったのでしょうか?
私が『京都レイア』に所属して2年が経った頃、女子プロ野球ちょうど10年目を迎えたんです。しかし、チーム運営は長年赤字続きだったため、人員整理が行われました。
育成チームを中心に30名から40名が人員整理の対象となり、私もそのうちの1人でした。もちろん残念な気持ちもありましたが、育成チームに入団してから「プロで通用しないのではないか」と、自分自身が気づき始めていたんです。
「ここで続けていてもいいのか」迷っていたタイミングの人員整理だったので、正直少しホッとした気持ちもあります。そこでもうプロは諦めようと思いました。
現在も野球をしている石黒さんですが、辞めなかった理由は何だったのでしょう?
トライアウト時にお世話になったコーチがいるのですが、そのコーチが現在働く『エースタイル』で監督を務められていたんです。
私が『わかさ生活』を辞めるときに、監督がそれを知って声をかけてくださいました。一度は野球を辞めようかとも思いましたが、せっかくいただいたお話で、野球を続けながら仕事ができる環境をありがたいと感じ『エースタイル』に入社しました。
職種は介護職ですよね。前職とのギャップはありませんでしたか?
入社する前に母親に相談すると「覚悟がいる仕事だけど大丈夫?」と心配されました。私自身も業界に大変なイメージは持っていたので、入社したての頃は、前職とのギャップや利用者さんとの接し方に戸惑いはありました。
しかし徐々にそれらも消え、今ではやりがいをもって働けています。業務内容は、サービス高齢者住宅での生活サポート。利用者さんたちの食事・入浴介助や掃除などを担当しています。
野球と仕事はどのように両立されているのでしょうか?
プロのときは野球がメイン、今は仕事がメインという感じですね。仕事は一般の社会人同様週5日で働いているので、休みの日に野球していて、週に2回ほど練習しています。そのため本当のオフは、月に2日から3日ほどなんです(笑)
最初はハードだなと感じていましたが、企業のチームはこれが普通ですし、メリハリが出て良いなと感じています。初めての業界に野球の練習。タフな活動に感心します…!
初めての業界でしたが、今では野球を辞めてもこの仕事を続けたいと感じるくらい、仕事への愛も育っています。
もともと人の面倒をみたり、人から喜んでもらったりするのが好きなので、介護職は楽しくてやりがいがあります。利用者さんの介助をしながら、さまざまなお話をすると、こちらも朗らかな気持ちをもらえるんです。野球も仕事も真剣にバランスよく打ち込めている今がすごく充実しています。
今後のビジョンや目標などはありますか?
将来的には、国家資格である介護福祉士を取得したいと考えています。
しかし、介護福祉士の資格を取るには、学校にいかなければならないので、野球と並行しながらはどうしても厳しくて。なので、いますぐにではないですが、野球に励む体力が追いつかなくなったり、結婚や出産などの人生の転機を迎えたり、そんなタイミングに合わせてスキルアップしていきたいと思っています。
最後に、石黒さんにとって野球とはどんな存在かお聞かせください!
今まで野球しかしてこなかったので「野球を辞めたときの自分は何ができるのだろう」と考えたことがあります。それくらい野球は、私の生活の一部で、“当たり前”なんです。だからこそ、年齢を重ねて形が変化しても、できるだけ関わっていきたいと思っています。
WEBで応募する