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インタビュー

6年間で4万件の飛び込み活動。お客さんからのチップだけで生活してきた女性シンガーの軌跡/かとうあい

■プロフィール
・かとうあい
・1995年生まれ・歌手
・島根県出身
・物心ついた頃から歌うことが大好きで、歌手を志す
・2021年現在はフリーで活動し、大阪・東京を中心に飲食店やイベント、スナックなどをまわり、チップ生活を続ける女性シンガー

「これまで約4万軒以上のお店に飛び込み営業をしてきた」という“かとうあい”さん。
時には怒られ、時には大好きな歌を罵られ、時にはシャンパンをかけられたこともあったそうですが、それでも「やってきて良かった」と話すバイタリティ溢れる女性シンガーです。

今回はそんな彼女が、歌手になろうと思ったキッカケから、異色のシンガーとして生活する上での苦労話や、それを乗り越えて得たものなどを教えてくれました。

オーディション落選の悔しさをバネに、
本気で歌を勉強しようと大阪へきた学生時代

子どもの頃から、歌うことが大好きだったんです。実家にある昔の写真も、テーブルの上に乗って歌を歌っている写真ばかりで。

幼い頃は出身地である島根県の小さなイベントでも何回か歌わせてもらってたので、将来の夢はもう「歌手」一択でした。

そして高校2年生のとき。初めて大きなオーディションに参加することを決めたんです。それが「スター☆ドラフト会議」(日本テレビ系)でした。

開催地が東京だったので、母に頭を下げて連れてってもらったんです。二人で往復十万円以上の交通費をかけてもらって。

結果、本選には残れなかった。

テレビの出演も、もちろんなし。母に申し訳ないという気持ちと、島根県で歌っていた時はずっとうまくいっていたのに、やっぱり歌でやっていくには「ちゃんと勉強しなきゃ」という焦りも憶えはじめました。

それからはひたすらお金を貯めるために、アルバイトをしました。大阪の歌の専門学校に行きたかったんですけど、うちは母子家庭なので。

高校3年間で、ファミレス、喫茶店、回転寿司と3つ掛け持ちして200万円ほど貯めて、学費としばらくの生活費を持って高校を卒業して大阪に出てきたんです。19歳の年でした。


「アウト×デラックス」への出演と、
『流し』という言葉との出会い

大阪に出てきてからもバイトをしていたんですが、そのうちの一つにファッションイベント「関西コレクション」でスタッフさんにケータリングのお弁当を配るお仕事がありました。

そこで、イベントに関わっていた事務所の方に「面白いしゃべり方をする子だね」と声をかけていただいて、その事務所に所属することになったんです。

文章だとなかなか伝わりにくいんですけど私、声と話し方に特徴があって、お酒飲みすぎたみたいな、すごいハスキーボイスなんですね(笑)

そんな流れで出してもらったのが「アウト×デラックス」で、それが大阪に来て1年目の出来事でした。

おかげさまで、多くの反響をいただきまして。
テレビの企画では『しゃべりと歌にギャップがありすぎてアウト』という切り口で出してもらったんですけど、それ以来、テレビやラジオのお仕事も、そのキャラの方がウケるようになってきたんです。

「歌を諦めたくないなぁ」と思っていた矢先に、事務所との契約が終わったこともありまして、「やっぱり歌で皆さんに知ってもらいたい」という思いが強くなりました。

そこからは覚悟を決めて、とにかく営業、営業です。
飲食店やクラブ、ラウンジ、スナックなど夜のお店の扉をトントン叩いて「一曲歌わせてもらえませんか?」って、飛び込みまくるんですよ。

時には怒鳴られましたし、シャンパンもかけられました。だけどそうやって苦労の先に出会ったあるクラブのママに『流し』という言葉を教えてもらったんです。


『流し』で始まった
チップ歌手としての人生

『流し』というのは、楽器を持って酒場などを回り、お客さんのリクエストに応えて歌の伴奏をしたり、ときにはリクエストに応えて歌を歌う人のことです。

今をときめく有名な歌手の中には、この『流し』からスタートした人も少なくないことを教えてもらって、私も『流し』を志すようになりました。

毎晩スナックビルを上から下まで全部のお店に声をかけてまわって「1曲、歌わせてもらえませんか?」と飛び込みでまわって行くんです。

「今日もこのドアを開けたら新しい出会いが待っているかも…!」そう何度も前向きに捉えて、飛び込みまくりました。

北は北海道、南は沖縄よりもっと南の島。3年間こうした生活を過ごし終えた頃には、もう波照間島と沖永良部島以外は行き尽くしていましたね。

移動は、チップがたくさんもらえた日は新幹線だったり、そうでない日は夜行バスだったり。

降りる駅や行き着く場所は、自分の直感を信じます。
ひどい時はお店が何にもないガランとした街で電車を降りてしまって、佐賀県の奥地で終電を逃して野宿した夜もありました。

その夜は「あぁ、自分なにやってんだろ。辞めてしまいたい」って、つい思ってしまいましたね。
だけど次の日に、私を応援したいって言ってくれる人と出会えたから、結果、まぁよかったかな(笑)


6年の流し生活で得た
何にも変えられないモノ

2021年現在で、この『全国流し行脚』も6年目。

これまでに飛び込んできたお店は4万件を超えました。
歌のレパートリーも、お客様のリクエストになるべく応えられるよう、歌謡曲からJ-POP、演歌まで頭の中に3000曲以上入っているかもしれません。

野宿したり、シャンパンかけられたり、ぼったくりバーに入ってしまって高額なお金を請求されたり、とんでもない経験もありましたけど。
ただの26歳の女の子では、なかなか出会えないような方ともたくさんお会いしてきました。

道端で酔っ払って倒れてたおじさんにお水をあげたら、その方がとある会社の社長さんでチケットを100枚以上買ってくれた、とかもありましたから。

私は、これまでたくさん「歌で成功するとか、叶うわけない」なんて言われてきましたけど、それに対してどう自分が向き合うかがすごく大切だと思っています。

人生は一回だし、大抵の失敗からは起き上がれることも学びました。失敗することを怖がらないこと、めげないことが大切だと分かったんです。

そう思うと、3万回飛び込んで、2万回断られても、1万人のお客様に出会えた喜びの方が大きいと感じられる。

将来の夢は武道館を
1万人のお客様で埋めること

実は歌の専門学校に通っていた当時の同級生の中で、今も歌でご飯を食べていけているのは、私ともう一人だけなんです。

私は、皆さんがくださるチップやご飯だけで6年間生きてきました。この感謝は絶対に忘れないようにしようと心に決めています。

だって全然知らない人、今日出会った人に、ご飯食べさせてもらって、歌聞いてもらえて、支えてもらってるんですよ。6年間も。

だから、早く有名になって恩返ししなきゃいけないんです。あの時、手を差し伸べた愛ちゃんはこんなにも立派になったんだなって、お客さんに見てもらいたい。

あともう一つ目標があるんですが、それは『ヒット曲を出すこと』です。

いつか武道館ライブが実現した時に、お客さんに「たくさん苦労してきた“かとうあい”」としてじゃなくて、「いい歌を歌う“かとうあい”」として自分のファンになってもらいたいんですよね。

面白い人生を送ってきていますが、やっぱり私は歌手なので「飲み屋で出会ったおもしろい子」じゃなくて、歌手としてきちんと認知してもらえるようになりたいです。


いま悩みを抱えたり、
後ろ向きになっている人に伝えたいこと

これまでいろんな方の前で歌ってきましたが、このコロナ禍ではみんな不安も多いのか、中にはワッと泣き出しちゃうお客さんも多くって。

私も学生の頃は「友達に嫌われたら終わりだな」とか、「受験失敗したら終わりだな」とか、「少し太っただけで終わりだな」とか、いろんなことで悩みました。

だけど、それってとても視野が狭くなってたのかな、と今になって思います。長い人生なんだから迷って当たり前。石垣島にいるウミガメから見たら、私の悩みなんか「知らんがな」くらいの感じですよ(笑)

私も1日のチップが0円の日があったから、いま頑張れているし、1万件断られてなかったら3万件飛び込めてなかったとも思います。佐賀県で野宿してなかったら、ファンになってくれる人とも出会えませんでしたからね(笑)

生きていたら、悲しいことはいつか霞んで見えなくなるので、毎日を真っ直ぐ生きていきましょう。私もそうします!



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Written by

ハレダス編集部

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