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インタビュー

「本当にやりたいことがダメでも、可能性はいろいろなところにある」プロゴルファー/永野敦朗さんインタビュー

テレビで活躍するプロスポーツ選手は多く存在しますが、華々しい舞台に立てるのはほんの一握りです。「プロ」と呼ばれる大勢の選手たちは、日々どのように生計を立てているのか、気になる方も多いのではないでしょうか。

今回インタビューを受けてくださったのは、プロゴルファーの永野敦朗さんです。ゴルフを始めてからツアープロとしてのレギュラーツアー参戦を経て、現在のレッスンコーチに至るまでには、どのような過程や思いがあったのでしょうか。

永野さんには、ゴルフを始めたきっかけやプロゴルファーという職業、そしてレッスンコーチとしてのやりがいなどを語っていただきました。

プロフィール
永野 敦朗(ナガノ アツロウ/1976年9月2日生/東京都)
・高校卒業後、アメリカ・フロリダ州オーランドに短期留学
・帰国後、プロコーチの指導を受け、2000年にプロ転向
・2002年~2010年、JGTOツアー及びチャレンジツアーに参戦
・現在は岐阜県と関東地方で、ゴルフの個人レッスンを実施
・趣味:ゴルフ

「父に遊んで欲しい」という思いから、ゴルフを始める

そもそも、プロゴルファーになろうと思ったのはなぜですか?

ゴルフが上手くて試合で活躍すれば賞金がもらえるので、稼げるのでは?と思ったからです(笑)。ゴルフを始めたのは10歳の頃でした。

父が出張の多い仕事であまり家にいなかったので、帰ってくると一緒に遊んで欲しくて、父が練習場に誘ってくれてから着いていくようになりました。そこで、ツアープロを初めて見て「すごいなぁ」と思った記憶があります。

本格的にゴルフを始めたのは、何歳くらいからでしょうか。

高校生になってからです。中学もゴルフ部のある学校へ進学したのですが、ほとんど活動をしていませんでした。なので、途中から野球部に入りましたね。

その頃ゴルフは、練習場に行ったり、年に2~3回、父とコースを回ったりする程度だったと思います。

高校ではゴルフ部に入部したのですが、東京だったので練習環境が整っていなくて「個人で練習してくれ」と言われました。平日は練習場、土日はゴルフ場のキャディのアルバイトをして、アルバイト後に9ホールくらい回って練習をしていました。

最近だとジュニア育成も活発な印象ですが、当時はどうでしたか?

ゴルフ場を開放してプレーしていいですよ、ということもなければ、ジュニア料金さえなかったですね。だから当時は「ゴルフは本当のお金持ちの子どもがやるスポーツ」という感じでした。

運転もできないので送迎は必須ですし、自分は東京に住んでいたので余計にゴルフ場に頻繁に行くことはできなかったので、練習場ばかり行っていました。

一度は諦めた夢を、もう一度追いかけたきっかけ

高校のゴルフ部に入って、プロとしてやっていこうと本格的に思ったのですか?

いいえ、そこで諦めました。高校時代は西東京の試合で、個人で優勝したり、ゴルフの全国大会は「緑の甲子園」とも呼ばれるのですが、そこに団体戦で3年連続出場したりもしました。

日本ジュニアという試合にも出たことがあるのですが、そういうところに行くと本当に上手い人との差が大きすぎて。それで、自分がプロとしてやっていくのは厳しいなと思いました。

しかしその後、プロゴルファーとして活動していらっしゃいますよね。

高校卒業後に、アメリカに短期留学をしたんです。そのときに、アメリカのPGAツアーを4試合くらい見に行ったんです。そうしたら選手たちがすごく楽しそうで、試合自体も日本のゴルフのイメージと大きく違っていて。

「お金が儲かる職業」から「楽しそうだな」というのに気持ちが変わって、自分もそういう場所で活躍したいと改めて思うようになりました。

厳しい競技の世界に入るために必要なことは…

実際にプロゴルファーとして試合などに出るようになって、どうでしたか?

最初の3年間はプロ転向してはいるものの、予選会で落ちてしまうから試合に全然出られませんでした。その時期は、1日で終わる小さな試合に出ていたのですが、大きな試合の出場権を取る前年くらいから、そういった試合で上位に入れるのが当たり前になってきたんです。そこを経て、レギュラーツアー何試合かと、二部ツアーにフル参戦できるようになりました。

試合の出場権を取るとスポンサーがついて、ゴルフのことを何でもしてもらえるんです。それまでは汚いボールや手袋を使って、スパイクや服は当然同じようなものばかり使っていたのですが、毎試合新しいものを支給していただける。

今思うと、当時は24.25歳くらいで若さもあって、しかも無名のゴルファーが急に出てきたから、「誰だこいつ」って注目されていたんだと思います。それで、いろいろなメーカーさんが必要なものを提供してくださいました。いきなり生活が変わったので、急に芸能人になって、売れちゃったみたいな感覚でしたね。

プロ転向というのは、どうしたらできるのでしょう?

昔はPGAという団体がトーナメントを主催していたのですが、1999年に、日本ゴルフツアー機構という社団法人が新しくできて、そこがすべてを主催するようになりました。

PGA主催の頃は、プロテストに受かってPGA会員にならないと、ツアー予選会に出られなかったのですが、アメリカをはじめ、世界ではどんな人でも幅広く予選会に出ていいんですね。

その代わりものすごい人数になりますし、海外からも参加して狭き門にはなるのですが、日本も世界に合わせようということで、新しく変わりました。

アマチュアを破棄してプロ転向する、という方もいますし、全4回ある予選会のファーストステージを通過して、日本ゴルフツアー機構のメンバーになるのが一般的かなと思います。自分も、PGAのテストは受けず、日本ゴルフツアー機構のメンバーになることで試合に出ていました。

賞金だけで食べていけるのは「ほんの一握り」

プロゴルファーという職業についてもう少しお伺いしたいのですが、賞金だけで生活をしている人はどれくらいいるのでしょう?

プロゴルファーと呼ばれる人は5,000人くらいで、そのなかに全国のさまざまなツアーに出られる「ツアープロ」という人が150人くらいいます。本当に賞金だけで生活できるのは、日本の男子だと30~40人くらいじゃないでしょうか。

それ以外の多くの方は、どうやって生計を立てていますか?

レギュラーツアーに出たり入ったり、二部ツアーに参戦したりしているプロには、スポンサーがついていますので、応援していただいて試合に出る、生計を立てるなどする場合もあります。

多くのプロゴルファーは、ゴルフ場や練習場に所属したり、インドアのゴルフスクールでコーチをしたり、一般企業の社員選手として働きながら試合に出たりします。

小さい試合でも、出場し続ける人は、ゴルフ関連の仕事に就いている人は多いですね。ゴルフコースや練習場は所属人数が決まっているので、自分のように個人でレッスンをする人もいます。

将来の可能性がある人たちは、応援してくださる方も多く、試合にもどんどん出られますが、基本的には働かないとダメですね。

ほとんどが何かしらの仕事をしていますし、なかにはさきほどお話ししたPGAの会員になっているという「肩書き」はあるものの、試合には出ないし全く関係ない仕事をしている人もいます。会員も年会費が必要なので、ライセンス自体を返してしまうということもあるみたいです。

表舞台の「選手」から、裏方の「コーチ」へ

大きな試合にも出場されていたそうですが、永野さんはいつ頃からレッスンを始めたのですか?

30歳くらいからですね。試合には4~5年出ていたものの、思うように成績が上がらず「試合でやっていくのはちょっと無理かも」と思い始めていた頃です。

それで、レッスンをしながらたまに試合にも出てというスタイルでやっていこうと、ゴルフアカデミーに所属しました。そこを退職してからは、個人的にレッスンをして欲しいという方にゴルフを教えるようになって、今に至ります。

レッスンは大変ですか?

接客業なので、お客さんによるところはありますね(笑)。ゴルフをプレーするのと教えるのは違うので、レッスンを始めたばかりの頃は、本もたくさん読みました。

自分がプロを教えるコーチ6人くらいに習って得た知識と、自分のゴルフの経験を伝えること以外ないと思って、とにかくそれを実践してきた感じです。

当時はYouTubeのように手軽に情報を収集できるものもなかったのですが、最近はYouTubeを見て勉強することもありますよ。

レッスンのやりがいや苦労を教えてください。

自分が説明していることを、お客さんが最初は理解できないんですけど、だんだん意味がわかってきて、実践できるようになったり打ったボールが変わったりすると、喜んでいただけます。そういうときは、「よかったな」と感じますし、うれしく思いますね。

幸いよいお客さまに恵まれることも多く、レッスンのなかで苦労することはあまりないのですが、やはり個人でやっているとクチコミでの集客が中心になるので、新たなお客さんを獲得するのは大変です。SNSを活用した集客も今はありますけど、自分は苦手なので…。

家族のため、待っていてくださるお客さまのために

結婚して、ご家族が増えて、働き方への意識に変化はありましたか?

そうですね。独身の頃は、自分で稼いだお金は試合や練習、遊びにも自由に使えるものでした。今は子どもたちがいるので、決まったお金が出ていく分、前よりも自分にお金を使うことが減ったかなと思います。子どもたちのために、もっと収入を増やしたい、増やさないと、という気持ちで頑張っています。

レッスンは関東と岐阜県の2拠点でされているそうですね!

もともとは東京にいたので、関東地方でずっとレッスンをしていましたが、2017年に岐阜に移住してからは、岐阜を拠点にしつつも、関東に毎月1週間~10日くらい出張に行ってレッスンしています。長距離の移動は大変ですが、それぞれの場所に待っていてくださるお客さんがいるのはうれしいですね。だから頑張れます。

レッスンをしていくなかで、今後目標にしていることはありますか?

今のレッスンスタイルは変わらないので、全国にお客さんができたらいいですね。自分が元気なあいだは「どこへでもかけつけます!」くらいの気持ちでやっていきたいです。

自分のようなスタイルで仕事をしているゴルファーもあまり聞きませんが、そういうのもありかなぁと思っています。

「やりたい」と思っていなかったところにも、可能性は転がっている

ありがとうございました。最後にハレダス読者に、何かメッセージをお願いします。

自分はもともと選手で生計を立てていきたいと思っていましたが、実際にやってみて厳しい現実を見ました。

同じゴルフに関わる仕事でも、正直レッスンをすることは考えていないというか、むしろやりたくないと思っていた時期もあります。しかし選手としてやっているなかで、自分もいろんな先生に習って、ゴルフが上達したり人生的にもうまくいったりしたことがあるので、それを伝えたいと考えるようになりました。

いろいろな方と接するなかで多くのことを教えていただくだけでなく、逆に教えてあげて喜んでもらえた経験もあったから、「教える」という仕事がいやではなくなったのかなと思います。

レッスンコーチは、自分にとって本当にやりたいことではありませんでしたし、「ツアープロとして活躍する」ということは叶いませんでしたが、今は「仕事だ」とかしこまりすぎず、自然体でできるコーチにやりがいを感じ、楽しめています。

働き方や仕事に対する価値観、モチベーションは1人ひとり違いますが、こういう職業や働き方があるということも、多くの方に知っていただければうれしいです。

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Written by

永野 栄里子

永野 栄里子

大学・大学院にて日本語学を専攻。日本語学校での非常勤講師を経て、2018年よりライター業を開始。さまざまなメディアで記事を手がけながら「田舎の在宅ママライター」として新たな働き方を確立すべく、日々育児に仕事に奮闘中。

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